2015年8月11日
1946~1949生まれのいわゆる団塊の世代、その世代が歴史的に負っていた課題は、その父親の世代、また戦前生まれの兄貴分たちが築いた戦後日本の繁栄、1960年代の高度経済成長による日本の繁栄を維持・継続させることであった。
この場合、繁栄を維持・継続するといっても、その意味が経済的な範囲にとどまっていては不十分である。
というのは、繁栄をもたらせた要因を経済的観点からのみ捉えるのでは、その要因の重要点を見逃してしまうことになるからである。
社会をより深く、広範にわたって分析しなければ、繁栄をもたらせた要因をとらえることができず、その維持・継続は不可能だからである。
団塊の世代はそのことに気づかなければならなかったが、気づくことができなかった。世代が負っていた課題に応えることに団塊の世代は失敗したのであった。
彼らが把握できたのは、日本人の勤勉と合理主義程度にとどまったのである。ゆえに彼らは勤勉であり、合理主義者であった。そこにとどまった。薄っぺらな社会が形成されることになったのである。
今日の日本の経済的苦境は団塊の世代のこの不十分性にその要因の多くが存していると考えられる。
団塊の世代の貢献を主張する一部の呑気な団塊の世代もいるが、明らかに間違っている。
団塊の世代は、日本の繁栄をもたらせたメカニズムの把握に失敗し、繁栄の基礎を無自覚なまま崩壊させてきたのであった。
さて、このように歴史的課題に応えられず、繁栄の成果を費消するだけで、何ら建設的な貢献をなしえなかったという低評価のまま、その社会的生命を終えようとしていた団塊の世代に、僥倖が訪れることになった。
団塊の世代の弟世代に位置する安倍の早すぎた登場である。
あと5年か10年後の安倍の登場であれば、いわゆる戦後レジームからの脱却路線、自衛隊の国軍化という名目による軍備強化路線、国益の名のもとに基本的人権を制限しようとする路線、これらの路線は現在よりもかなり容易に実現をみていたであろう。
しかし5年~10年早過ぎたために、まだ元気を残している団塊の世代がいた。
安倍が嫌悪する戦後民主主義の教育を受け、それを血肉化している団塊の世代がいたのである。
わずかではあるものの戦争中の悲惨を知り、戦後の貧困を知り、反社会福祉傾向と軍国主義化傾向を知り、アメリカの間違った戦争を知り、たっぷり平和と繁栄を知っている団塊の世代がいたのである。
団塊の世代には、これらを知っていることによって、安倍の屁理屈を許さない実感が育まれていたのである。
団塊の世代がもつことができていた実感的民主主義、平和主義、人権尊重主義をここで発揮することができれば、団塊の世代はこれまでの汚名をわずかながらでも挽回することができるであろう。
世代としての存在価値をその社会的生命の最終段階で後世に示すことができるであろう。
本来の期待された世代の課題には応えることができなかった。しかし、鬼っ子・安倍の登場のおかげで、団塊の世代は最後の御奉公の機会を与えられたのである。
この機会を逃す手はない。