2015年8月2日
存立危機事態における武力行使について、ここのところ政府は単純にこれこれの事態が存立危機事態だというような言い方を控えている。
事態の全体的状況、相手国の能力、意図、日本への影響の大きさ、影響の質、日本側の反撃能力、他に行使しうる手段の有無、こういったものについて政府が「総合的に判断」して武力の行使をするか否かを決定する、というような言い方をする。
このような政府の言い方について、武力の行使を政府の判断に全面的にゆだねるものだ、との批判がなされていて、それはそれで正しいものではある。
しかし、「総合的に判断」して武力の行使をするか否かを決定するということについては、より基本的な、重大な問題がある。
武力行使如何について「総合的に判断」ということは、上に掲げたような様々な情報を収集し、熟慮検討するということである。
様々な要素を熟慮検討し、利害得失を判断し、国益を図る最適な措置を見出すということ、その結果として武力の行使をするということ、一見当然と思われるこれらの措置は、「国権の発動たる戦争」といい、「国の交戦権の行使」というものである。
すなわち、「総合的に判断」した結果としての武力の行使は、「国権の発動たる戦争」「国の交戦権の行使」であり、明確に、明文上の規定をもって、憲法で禁止されているのである、違憲である。
自衛隊の合憲と個別自衛権の行使の合憲の根拠を明確に述べている政府のいわゆる47年見解において、それが合憲であるのは「外国の武力攻撃によって国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底からくつがえされるという急迫、不正の事態に対処し、国民のこれらの権利を守るための止(や)むを得ない措置」であるからと述べられている。
「急迫、不正の事態への対処」のためだからこそ、自衛隊は保持しないとされている「陸海空軍その他の戦力」にはあたらないとされているのであり、その実力行動は放棄するとされている「武力の行使」ではないとされているのである。
「急迫、不正の事態への対処」という要素がなければ、すなわち、熟慮検討、総合的判断というような余裕のある事態への武力の行使は、たとえその事態が「国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底からくつがえされる」おそれがある事態だとしても、これを行わないというのが憲法9条である。先制攻撃を行わないという原則はここから導き出される。
自衛隊の存在も個別的自衛権の行使も全面的に合憲とされているのではなく、憲法9条によって制限を受けているのである。
様々な要素を熟慮検討し、利害得失を判断し、国益を図る最適な措置を見出すのは当然でしょ、それこそ政府の役割でしょ、その判断の基準を知られたら日本に不利になるから言えませんよ、などと平気な顔で得々と首相が述べるというのは、首相が以上のような基本的な憲法論を知らない結果であると考えざるをえない。
存立危機事態における武力行使について例外なき国会事前承認制をとれば容認できるという一部の野党がいるが、首相同様の無知、無理解と言わざるをえない。国会が関与しようとしまいと「国権の発動たる戦争」「国の交戦権の行使」たる性格に影響はなく、違憲であることに変わりはない。
「法的安定性」の基礎は何よりも現在の法と法を支える考え方を知るところにある。知らなかったらすぐに繙(ひもと)いて、まずは謙虚にそれに対するという姿勢をもつところにある。
明言しようとしまいと、「法的安定性」の基礎条件を欠く政府は民主主義国家における政府たる資格はない。