2015年7月4日
週刊ダイヤモンド6月27日号「オピニオン縦横無尽」で櫻井よし子氏は「与党推薦の参考人が憲法違反と断罪 集団的自衛権に学界が反対する理由」と題し、数少ない合憲論の学者・百地章日大教授の幼稚・浅薄な合憲論を紹介して「合理的で、筋が通っている」などとした上で、「それにしても日本の憲法学者の多くはなぜ右の(注:百地章日大教授の)解釈の対極に立ち、憲法を否定的に解釈するのか」という彼女の立場からすれば極めて自然な疑問を呈し、「私はそこに戦後憲法学に君臨した宮澤俊義氏の影を見る」と読者を驚かせて次のように書いている。
「 にもかかわらず(注:宮澤俊義は、現行憲法は日本人が自発的に作ったわけではない、自己欺瞞にすぎないと批判していたにもかかわらず)、GHQ作成の憲法を全面的に受け入れ、護憲論を奉じ、憲法学の権威となった。GHQの圧力の前で、宮澤氏がGHQを受け入れた結果、氏は憲法学の泰斗となり得たのではないだろうか。
氏の弟子たちは当然、氏の学説を踏襲しなければポストを得られない。かくして日本の憲法学界は現在に至るまで、日本の自立を望まないGHQの精神を体現し、集団的自衛権は憲法違反だなどと主張するのではないか。」
宮澤俊義氏、氏を憲法学の権威とした憲法学界、「氏の弟子たち」も、ずいぶんと厳しく、下卑た存在に貶められたものだ。憲法学界こぞって、あいた口がふさがらない、といったところではないか。
人間は自分の身の丈に合わせて、すなわち自分の行動基準から類推して、他人の振る舞いを解釈し、評価するものである。筆者はそれを「身の丈サイズ人間観」と名づけている。
櫻井氏は、彼女の身の丈に合わせて、すなわち彼女の行動基準から類推して、人間を、自己の権威を獲得するために(GHQのような)権力に屈する存在、ポストを得るために自己の主張を左右する存在、そのように薄汚い、卑小で、利己的な存在と理解しているようだ。
人々を相手に言論活動を行うことを使命としている人間が、このようなもっともらしいが、恥知らずで、下品な人間観の持ち主であることは、社会にとって、悲しく、不幸なことといわなければならない。
言論は自由とはいえ、臆面もなくLow-Mindedな自分をさらす櫻井氏に対し、新鮮な驚きと怒りを禁じえない。