2015年5月7日
標題は5月5日「mixiニュース」に登場した見出しである。本稿は時給1500円の妥当性、すなわち時給の絶対水準を論じるものではなく、それを論じて要求は妥当でないとしているそのニュースの妥当性を論じようとするものである。
このニュースは社会保険労務士松本明親という書き手が明らかにされており、ファーストフード店の時給アップを要求したデモ(4月25日に24都道府県の30都市で行われたという。)に対する明確な批判の立場に立っていることから、ニュースというよりはそのデモに対する松本氏の論評と言うべきものである。
「mixi」と松本氏がいかなる関係にあるのかはわからないが、「mixiニュース」として掲載された以上、「mixi」の立場を表わすものでもあると考えていいであろう。
しかしその内容たるや大変お粗末なもので、松本氏個人のものならば取り上げるに値しない代物(しろもの)であるが、「mixiニュース」としてやや公的性格を帯びているがゆえに、指摘すべきは指摘しておこうと思うのである。
まずこのニュースは次のような根拠なき断定を行っている。
「デモの主張どおりに時給1500円になれば、雇用者は雇っている人数を減らさざるを得なくなることが考えられます。」「時給が上り人件費が高騰することにより、提供する商品やサービス価格に転嫁しなければならなくなります。」
ファーストフード業界の利益率を問題にしないでおいて、このような断定をすることはできない。ファーストフード業界が全体として採算ギリギリの状態にあるとき、この断定されている命題は成立する。ファーストフード業界がそのような状態にあるとは考えにくい。
一企業のみが時給1500円へのアップをすれば他の企業との競争上、当該企業が不利になることはある。しかし、デモの要求は業界全体への要求であり、業界全体で時給1500円となれば、業界全体の利益率が低下することにはなるが、その結果として業界が滅びることはない。ファーストフード業界は完全な国内マーケットを対象とする業界(以下、「ドメスティック産業」とする。)であり、輸入品との競争は皆無だからである。
したがって、ニュースに「消費者が少しでも安さを求めて輸入品に頼り始めれば、国産品は売れず、海外にお金が流れ国際競争力を失いかねません。」というのはまったく的外れである。安いファーストフードを求めて消費者が海外に飛ぶということはあり得ない。
「牛丼チェーン店での24時間勤務やワンオペと呼ばれる深夜の一人勤務、長時間労働など、過酷な労働環境の割に賃金が低いという問題があります。しかし、それと時給を1500円にすることとは話が違います。」とも書いてある。
「賃金が低い」と自ら書きながら、時給をアップすることとは話が違うとはどういうことであろうか?「賃金が低い」という問題認識からは賃金を上げる必要があるという答しか出てこないはずだ。論理性のひとかけらもないと文章と言わなければならない。
「時給が800円の仕事しかできない人に、時給1500円を払いたくはありません。それでもまだ時給1500円を希望するのであれば、労働者側はそれに見合う高度な専門性を身に付けるほかないでしょう。」とも書いてある。
ここまでくると、もはや書き手には労働者側に対する悪意があると考えるほかは無くなる。「時給が800円の仕事」などという絶対的なものは無い。専門性、熟練度、労働内容とかによって賃金格差は生じる。その格差は相対的なものとして妥当性を論じられるものであって、絶対水準としての妥当性は別の論拠を求めなければならない。そのようなアプローチをしようとの姿勢はこのニュースの書き手にはまったくない。
さて、それでは賃金の絶対水準の妥当性はどのように論じられるのであろうか?
賃金の絶対水準を規定するのは国際労働市場において成立する賃金水準である。(言うまでもないが、そこでは労働生産性を反映した賃金水準が形成される。)
ファーストフード業界のようなドメスティック産業での賃金水準は、この国際労働市場において成立する賃金水準に直接規定されることはない。
国際労働市場において成立する賃金水準に直接規定されるのは、輸出品製造業、輸入競合品製造業といった国際競争下にある産業(以下、「国際競争産業」とする。)である。生産性に合わない高い賃金水準が設定された場合、これらの産業は外国企業との競争に敗れて衰退する。円高によって賃金水準が国際的に割高となって日本経済は長期低迷期を迎え、ここのところの円安によって賃金水準が実質的に低下して息を吹き返しているというのはまさにこのことである。
このような国際競争産業群において成立する賃金水準がファーストフード業界のようなドメスティック産業の賃金水準を規定することとなる。(当然のことながら、賃金水準には必要とされる専門性、熟練度、労働内容等が反映される。)
具体的には国内労働市場における労働者の需給関係によって賃金水準が形成される。しかしながら、個別の賃金は個別の労働契約によって決められる場合が多く、必ずしも需給関係全般を反映するわけでもないので(労働市場の不十分性)、最低賃金制あるいは団体協約により労働市場の不完全性は補完される必要がある。しかし、それはあくまでも補完であって、制度的に設定される賃金水準は想定される労働市場において形成されたであろう賃金水準でなければならない。そうでなければ設定された賃金水準はマーケットメカニズムを混乱させ、適正な労働配分に反する結果をもたらすことになる。
このように形成されるべき賃金水準として時給1500円が妥当かどうかがはじめて論じ得るのである。
したがって、国際競争産業群の労働生産性が極めて高く、高賃金水準を達成している場合、それを反映してドメスティック産業の賃金水準はその生産性が高くなくても高くなる。国際競争産業群の労働生産性が低く、低賃金水準の場合、ドメスティック産業の賃金水準はその生産性が高くても低くなる。
日本のサービス業の賃金水準が国際的に高く、開発途上国におけるサービス業の賃金水準が低いのは、サービス業自体の生産性の違いによるのではなく、国際競争産業群の労働生産性の格差を反映しているのである。日本のマックでの時給と外国のマックでの時給を比較してその妥当性を論じるのは、したがって間違っている。
「mixiニュース」を書いた社会保険労務士は以上のことをよく吟味して「時給1500円要求の妥当性」を検討してもらいたい。
誰かの走狗となってその知性をむだ遣いするようなことをやめてもらいたい。