2015年4月22日
安保法制について自公の協議が決着した。
「国際平和支援法」、戦争中の他国軍を自衛隊が後方支援するための恒久法、すなわち事案ごとに特別措置法を作ることを必要としなくなる法律については、公明党の主張を反映し、事前に、すなわち自衛隊に派遣命令を発する前に、例外なく国会の承認を受けなければならないということになった。
戦前の教訓が生かされていない、極めて遺憾な結果となったと言わざるを得ない。平和勢力を自認している公明党も所詮この程度でしかなかったのかと情けなくなる。
自衛隊の派遣命令の前に国会の承認が得られているということは、間接民主制の我が国において国民の承認が事実上得られたということだ、それでいいではないか、それ以上の何の措置を求めるのだ、ということは当然予想される意見である。公明党もこの立場に立った上での自民党への要求であった。
しかし、忘れてならないのは、戦前において戦争突入を可能ならしめたのは、何よりも国民大衆の圧倒的な支持であったということである。主導したのが軍部でも、強くバックアップしたのが政界・財界でも、追随したのがマスコミでも、その背景には熱狂、興奮し、勝利を求める国民大衆がいたのである。
平時に質問すれば平和を求めるとする国民は、ひとたび火をつけられれば直ちに「敵国降伏」を要求する戦争推進者となるのである、事実なったのである。
為政者が加害者であり、国民は被害者であったという戦前の描き方は誤っている。それは戦前の国民の動向を示す資料に容易にいくらでも読み取れる。だまされていたなどという受け身の程度をはるかに超えた積極的戦争賛美姿勢を示している。
国民をそのように導くことは、現在においても実に簡単なこと、いやむしろ現在においてのほうが簡単なことだと思える。
現在平和を希求するひとりひとりの国民は、同じように平和を望んでいた戦前の国民がまさに一億火の玉となって燃え上がったという事実を十分に受けとめなくてはならない。
筆者自身も巻き込まれたら、決してその例外ではいられず、一億分の1となるであろうことを認めざるをえない。
だから、国会の事前承認などというものは屁のツッパリにもならないのである。
自衛隊の派遣には国際社会の一致した支持、すなわち国連安全保障理事会決議という客観的指標を要件とすべきである。その上での国会承認制とすべきである。
後方支援というのは憲法上の制約から我が国が勝手に使っている言葉で、相手国にとってみれば戦闘部隊と同じ敵側勢力である。若き自衛隊隊員に数百とか数千という規模で犠牲になることを覚悟してもらわなければならない。若者の犠牲を求めるに足る条件は、冷静に判断できる現在においてこそ、将来の恣意的判断を許さないように決めておかなければならない。
国民、それは我々であるが、敵愾心を煽られて行け行けドンドンとなったときは、冷静沈着な判断が極めて困難な、恐ろしき集団と化するのである。
我々は、我々を疑わなければならない。それこそが先の大戦における最も重要な教訓である。