2015年4月18日
次のような批判の文章を準備していた。
「 4月1日から朝日新聞朝刊で「折々のことば」というコラムが始まった。かつて大岡信氏の「折々の歌」が掲載され、評判が高く、その後「続折々の歌」があり、「続々」もあったような気がする。単行本化もされた。二匹目のどじょうを狙ったとも思われる「折々のことば」は哲学者鷲田清一氏によるものである。本日までで○○回となった。そのためのスクラップ・ブックを用意して毎日貼り付けている。
しかし、これが期待に反してちっとも面白くないのである。その原因を考えてみた。
ひとつは、「折々のことば」のほとんどが短い散文であるということである。その結果として、ことばを発した作者の思い、作者の感情が迫ってこない。韻文と違って文章がだらっとしてしまりがないのである。
我々は文章を読むことによって作者と触れ合いたい、作者の人となりに接したいという思いを持つものなのであるが、短い散文ではそこに作者が現われてくる余地がない。
もうひとつは、選ばれたことばに処世術的印象のものが多いということである。処世術というものを決して馬鹿にすることはできないが、処世術が深い味わいのあるものとして与えられるためには、その背景となる事情がよく説明される必要がある。そうでないと、口先だけの浅はかな考えなのか、積み重ねられた苦闘の中からにじみ出てきたものなのか、それが読者にはわからない。
さらに、処世術的印象のことばが多いということと関連するが、形而上的なことばがほとんどないのである。形なき世界、精神的な世界、宗教・哲学的世界のことばがほとんどないのである。たぶんそれは哲学者鷲田清一氏の哲学者であるがゆえの意図的な選択の結果だと思われる。むずかしいことばではなく市井の中にあることばをという選択である。しかし残念ながらそれは功を奏していない。現代の我々は市井の処世術よりも深い思索に裏打ちされた精神的救済のことばを欲しているのである。 」
以上が「折々のことば」に対するこれまでの気持ちだった。しかし、本日(4月18日(土))の「折々のことば」で気持ちがすっかり変わることとなった。
掲載されたことばは、「夢でもし逢えたら 素敵なことね」である。御存じ大瀧詠一作詞作曲の「夢で逢えたら」の冒頭部分である。
鷲田氏は「私が死んだら、もし葬式でもしてくれるなら、この曲を流してほしい。そう息子たちには頼んである。」と書いている。
筆者は「MY LAST SONG」として、すなわち、葬式に流す曲ではなく生きている最期の時に聴く曲として、それまでは民謡「江差追分」に決めていたのだが、昨年末ぐらいからこの「夢で逢えたら」が急浮上していたのである。
短い散文であることの欠陥は免れがたいが、その分は頭の中にあるメロディーがカバーしている。そしてまぎれもなく、このことばは処世術ではなく、たましいの世界のことである。
このことばが採用されたことで、俄然これからの「折々のことば」の展開に期待が持てるようになったというわけである。
なお、鷲田氏は「夢で逢えたら」の歌手としてラッツ&スターを選んでいるが、筆者は薬師丸ひろ子の歌っているのがいい。鷲田氏は葬式の参列者に対して鷲田氏のメッセージとして「夢で逢えたら」を発信しよう、すなわち「私はあの世でみなさんを夢見ておりますよ」と語りかけるのであるが、筆者は死ぬ直前にこのメッセージを受信したい、すなわち「あなたは死んでしまうけれど、夢の中であなたとお逢いしますよ」と言われるのを願うのである。その違いが歌手の選択に表われたのだと思う。