2015年4月12日
泉鏡花「日本橋」に次のようなところがある。
「 昔と語り出づるほどでも無い。殺された妾(おんな)の怨恨(うらみ)で、血の流れた床下の土から青々とした竹が生える。筍(たかむな)の力に非(あら)ず。凄さを何にたとふべき。五位鷺(ごいさぎ)飛んで星移り、当時(現在の意)は何某(なにがし)の家の土蔵になったが、切っても払っても妄執は消失せず、金網戸からまざまざと青竹が見透かさるる。近所でお竹蔵と呼んで恐れをなす白壁が、町の表。小児(こども)も憚(はばか)るか楽書(らくがき)の痕(あと)も無く、朦朧として暗夜(やみ)にも白い。
時々人魂(ひとだま)が顕(あらわ)れる。不思議や鬼火は、大きいも雀の形に紫陽花の色を染めて、ほとほとと軒を伝う雨の雫の音を立てつつ、棟瓦を伝うと云ふので。」
日本橋芳町の、かつては売れっ子芸者のお孝が、落ちぶれて気も狂い、寂しく暮らす露地の奥の、不運と不気味を象徴する物として、鏡花が竹を持ってきたわけだが、桜の下の死体は有名でも、竹に怨恨の血を見るのは、一般にはなじみのないところであろう。
筆者はかつて、全戸が一挙に離村という、消滅集落を訪問したことがあるが、傾いた家屋に散乱する生活物資と、恨みを持つが如く床から突き出されていた沢山の竹の凄さに、圧倒された経験がある。
泉鏡花はたしか石川県の人、近くに山が迫っていれば、集落とは言わずとも、廃屋にそのようなことが生じるのを、十分に経験していたのであろう。
竹は一般に、土地の痩せたところに広がって、竹林を形成するものだが、人の手の入らなくなったところへ侵入するという傾向もあるらしい。
構造物があれば、ふつうの植物には入り込む隙は無いかもしれないが、横根で広がる竹であれば、むしろ競合相手のない場所として、放棄された人の住まいは、我が物顔の舞台であろう。
今フクシマで、イノシシの横行は報道され、雑草に覆われた住宅も時々見るが、竹の侵出というのはまだ聞かない。
竹は現在、横根を伸ばして競合植物のない、人家の床下を探し回っているのかもしれない。
いざここで芽を出そうとなったら、タケノコが一斉に畳を突き破るのはその年の内だ。
鏡花によれば、青々と竹が生えるのは、「筍の力に非ず」、「殺された妾の怨恨」ということになり、「切っても払っても妄執は消失せず」となるわけだが、フクシマでは如何?