2015年3月28日
縁あって、このたび「宮崎滔天アジア革命奇譚集」(発行:書肆心水)なる書物に接し、これを読了することが出来た。本書は「新浪花節、慨世危譚・明治国姓爺」と「狂人譚・ナポ鉄」「同・釈迦安と道理満」から成る。いずれも明治後期に「二六新報」紙上に連載されたもので、前者は桃中軒牛右衛門述とされ、後者は筆名が不忍庵主とされているが、いずれも宮崎滔天(1871~1922)の作である。
宮崎滔天と言えば「大陸浪人」などと呼ばれ中国の清朝打倒の革命運動に参加した単なる実力行動派、武闘派の人物と見なされがちであるが、その筆の卓(た)つこと誠に素晴らしいもので、350頁を超える本書でもその文章の勢いを十分に発揮している。その疾風怒濤の人生は本人の著「三十三年の夢」に任すことにして、ここでは本奇譚集を少々紹介することとしたい。
なお、滔天の息子龍介は戦前の学生社会主義組織「東大新人会」に所属し、かの有名な白蓮事件では白蓮を救い出すヒーローとなった人物である。また滔天夫人・槌(つち)は漱石「草枕」の温泉宿の女性のモデルという説がある。
まず「明治国姓爺」である。「国姓爺(こくせんや)」とは明朝末、明朝の存続を図って清と戦った鄭成功のことで、その父親は中国人、母親は日本人であり、そこから明治の時代に清朝打倒運動に活躍する日本人主人公を「明治国姓爺」としたのである。
多くのフィクションに満ちた奇想天外な冒険譚であるが、話の背景には滔天の実際の活動経験があると考えられ、フィクションをちりばめた自分史と言ってもいい。
そして冒険譚の風を装いながら、実はこの小説は思想小説であり、滔天の思想遍歴を語るものである。千島樺太交換条約(1875)からのロシア敵視による単独報復主義から始まって、アジア一体となって西欧と対決すべしとの大アジア主義、当時急速に広まったキリスト教思想、そして究極的理想を目指す無政府主義がこの物語に順次登場してくる。
我々はこの物語によって当時の読書階層の直面していた思想問題をうかがい知ることが出来る。それらは今日においてもなお問題としてとどまっており、学生生徒のみならず、思想問題に直面することなく大人になってしまった教師たちもまた本書から多くを学ぶことが出来るであろう。
滔天は中国での武装蜂起失敗後、浪曲師になることを決意し、この物語も浪花節台本の体裁をとっている。それゆえ文章は七五調に満ち満ちており、リズムに乗って読み進むことが出来る。その冒頭の一部を引用しておこう。
「浮世が自由(まま)になるならば、天下の乞食に錦着せ、車夫や馬丁を馬車に乗せ、水呑百姓を玉の輿、世界一家と治まりまして、四民平等の極楽を、この世に作り建てなんと、文明開化の魁(さきがけ)の、ドイツ、フランス、アメリカや、強きに驕(おご)るロシアの国、そが身中の虫なるか、今の開化を敵と見て、爆裂弾やピストルで、王侯貴族を暗殺し、現世の組織を壊さんと、実(げ)に恐ろしき隠謀を………」とこんな調子である。
そして「狂人譚・ナポ鉄」。これは清朝打倒・中国革命に身命を賭け、そのために家の財産のすべてを投じるのみならず、妻子をも捨てなければならないと思い至った主人公が妻に離縁を言い渡し、妻に自殺されてしまい、本人が狂ってしまうという話で、これも滔天自身のことにフィクションを加えた物語である。
また「狂人譚・釈迦安と道理満」は、キリスト教会で第二の新島襄とまで期待された主人公が、東洋思想的梵我一如を唱える白人の乞食と出会うことによりキリスト教を捨て、故郷に戻って思想を実践するに及んでついには狂死するという話。話の過程における思想論争は滔天の冷静な分析能力を感じさせて読みごたえがある。
いずれの話も滔天のサービス精神から読み物としての面白さがたっぷりなのであるが、一方でそれらは滔天自らの悶々たる思想的苦闘の記録にほかならず、真剣味が一杯で、読者を楽しませつつ教えるところ極めて大きいものがある。
(単に語彙を豊富にするためだけでもずいぶんと役に立つ書物である。)