2015年3月3日


 「なぜ気づいてやれなかったんだ」「かわいそうでかわいそうで胸が痛む」「学校や保護者は何をしていたんだ」等々、今回の事件をめぐって大人たちの憤りの発言が相次いでいる。それらの発言において大人たちは、ふがいない自分たちを責めながら、それによって自己正当化を図り、実は何の対策も打ち出すことができていない。ことが起きるといつでも登場してくる「専門家」たちも「サインを見逃さず、再発防げ」というレベルの解決にならない策を繰り返すだけで、対策を打ち出せていないという意味で一般庶民とあまり変わらない。


 今回の事件をめぐる議論全般に致命的な欠陥がある。

 どの「解決策」を見ても、大人が早めに感知していれば事件は防げるという考え方であって、学校、家族、警察、地域社会等の大人たちのどこにウエイトを置くかについてのニュアンスの違いがあるにすぎない。

 結局、学校、保護者等によるこどもたちの管理強化ということであって、これまでなされてきて限界感のある対策にすぎない。実益に乏しく、負担ばかり多く、副作用も大きい対策である。

 今回の事件はそのような従来の対策に反省を迫る重要なヒントが含まれており、何よりも今回の事件からそのことが気づかれなければならない。


 事件の直接のきっかけが、この事件の約1ヵ月前に起きた被害者・上村君への暴行をめぐっての友人たちによる犯人・18歳少年への抗議行動であったことがわかってきた。

 結果的には逆目に出てしまったが、今回の事件でまずもって評価すべきは、このこどもたちの自治的、自主的行動があったということである。

 このようなすみやかな、直接的な行動は、問題の処理を大人たちに委ねていたらなかなか期待できないことのはずだ。


 大人たちには承認しがたい組織かもしれないが、こどもたちが何らかの組織を形成していれば、それがチンピラとか愚連隊のたぐいであろうと、それなりの秩序が形成される。

 このようなこどもの組織にあっても、その秩序を破壊する者は、こどもたちの自治的、自主的行動によって排除される。

 みんなから好かれていた上村君が暴行を受けることは、こども組織にとって許容できないことであった。大人の介入があれば話がややこしくなることは予測されていた。それゆえ18歳少年がこどもたちに押し掛けられる事態となったのである。

 大人たちの立場からすればその存在、そのパワーを認めがたい、このようなこども組織の自治、自主、自由を信頼することが今回のような事件の防止のためには必要不可欠である。知られていないだけで、こどもたちの組織は現実に秩序維持的に機能していることがあらためて見直されなければならない。


 犯人・18歳の少年はリーダー格であったと報道されている。しかし、それこそ専門家のよく知るところだと思うが、リーダー格の人間は仲間に対する行動について一定の枠組みを持ち、それが大人たちの目から見れば理不尽さを含むものであっても、リーダーとしての権威を維持、確保するという観点からの合理性を持つ。リーダーとしての一定の器、度量といったものが必要なのだ。

 その枠組み、合理性を逸脱するような人間は、組織維持的ではなく組織破壊的であり、リーダー格ではなく、一匹狼的人格である。犯人・18歳の少年はまさしくそのような存在であろう。

 そのような一匹狼的人格の逸脱行動は、リーダー格の人間と違って、それを抑える論理を本人がまったく有していないため、極めて危険である。

 それはこども組織にとって危険なのであり、自分たちの仲間のために、こども組織はその危険除去にあたる。その必要性は外部の存在である大人たちよりも内部の存在である子どもたちのほうによほど強く感じられている。

 このことが今回、18歳少年への直接行動というかたちで具体的に現われたのである。


 残念ながら、今回の場合、こどもたちの行動は上村君の身体保護にまで至らなかった。それだけ犯人・18歳少年の行動が予測を超えたものであったということであろう。

 しかし、こどもたちの行動は事前防止の可能性を十分にもつものであった。可能性として事前防止たりえたと評価することができる。

 大人たちによる管理強化という自分たちにけっして好ましくはない方向を避けつつ、こどもたちには事前防止ができる可能性があったのである。

 大人たちに問題解決をゆだねれば自分たちの一切が根こそぎにされてしまい、別の荷物を背負わされてしまうということをこどもたちは知っているということでもある。


 以上のように考えれば、今回の事件からの教訓は、大人による管理強化ではなく、こども組織の自治、自主、自由の賞揚であるべきである。こども組織の度量のあるリーダー格への評価であるべきである。

 残念ながら、今のところそのような声に接することはほとんどない。

 管理強化は表面的沈静をもたらすかもしれないが、こどもたちの逃亡という結果を呼ぶだけである。管理強化は問題解決に逆行する。管理強化の提言は控えておいてもらいたい。