2015年2月21日
朴裕河(パク・ユハ)「帝国の慰安婦」を読み終えた。朴裕河氏は韓国・世州大学校日本文学科教授で、日本の慶大文学部卒、早大大学院文学研究科博士課程修了という1957年生まれの女性である。
筆者はかつて彼女の著書「和解のために~教科書・慰安婦・靖国・独島」を読んで感銘を受けた。それがあって慰安婦問題が再び取り上げられた本書を手にとることにしたのである。
報道によれば、本書は韓国において元慰安婦たちからの名誉棄損との提訴を受け、数十か所の修正をしなければ販売禁止との地方裁判所の判決を受け、現在控訴中という状況に置かれているようである。
冷静、客観的な立場を堅持されていると高く評価している朴裕河氏が韓国の裁判で理不尽な目にあってしまっていることは誠に残念であり、あらためて問題の深刻さを感じさせられる。
慰安婦問題の解決のためには、何よりも複雑で膨大な事実群をできる限り多く知ることから始められなければならない。慰安婦=売春婦論者も、慰安婦=強制連行少女論者も、自分たちがたまたま接することとなった限定された事実に拘泥して、事実の全体像を見失っている。
本書はそういう意味で幅広い事実を丹念に拾い上げ、事実の全体像に立脚して論述されていると判断される。
また、何よりも本書の価値が高いのは、慰安婦問題をとらえるのにあたり、日本の責任、日本の罪の有無いかんというレベルにとどまることなく、問題を大きな歴史的パースペクティブの中でとらえているというところにある。そのことがなければ、問題が法廷技術レベルの矮小な議論になりかねず、その結果は双方の主張の勝ち負けということになって、両国に和解をもたらすものとはならないであろう。言い換えれば、問題がそういうレベルにとどまっているかぎり、両国が歩み寄る余地はなく、和解に至ることはほぼ困難であろう。問題を歴史的パースペクティブの中に置かなければならないという認識は、本書の題名「帝国の慰安婦」に象徴されている。
さらに、慰安婦問題の一つの側面は、戦時損害賠償請求権の問題であり、日韓間の条約の字句にとらわれた水掛け論に陥っているのであるが、本書はこの問題に関しても、一次元高い立場から問題の本質を明らかにしている。
そして、日本の慰安婦問題否定論者(=売春婦論者)に対する批判は当然として、日本の慰安婦支援者に対しても韓国の慰安婦支援者に対しても、彼らの問題を鋭く指摘し、結果的にそれらが日韓間での泥沼状態を招き、当事者たる元慰安婦が救われないこととなっているということを客観的態度を貫いて分析している。
特に、誤解され、十分に機能しないまま解散に至った「アジア女性基金」についての分析は、これからの問題解決のためのヒントとして十分に読みごたえがある。
本書を共通のたたき台として、共通認識を得るための基礎として、日韓両国が慰安婦問題解決に取り組んでいくことができないであろうか。極めて困難な状況に置かれているが、解決の可能性を本書はわずかに感じさせてくれる。
慰安婦問題が、政府間レベルにとどまらず、両国一般国民の間でここまでこじれてしまった以上、それを解きほぐすためには、本書を両国国民の必読書と位置づける必要があると考えられる。