2014年12月21日

東京オリンピックを契機に江戸城に、すなわち皇居に、天守閣を再建しようという運動があるらしい。

 それをいいアイデアだろうと自慢げに僕に語った人がいた。オリンピック自体をできるだけ経費少なく実施しようという動きがある中で、そんな話が実現するはずはない、と即座に反論した。

 それに対する答えは、なーにその分だけお札を刷ればいい、というものだった。国債を発行して日銀に引き受けさせればいい、とうことであろう。

 そのナンセンスを今さら指摘する必要はないだろう。

 それにしても恐ろしいのは、アベノミクス、とりわけ異次元の金融緩和政策が市民権を得てしまった結果、世間的には識者と見なされるような人たちの中に、そんな馬鹿げた発想を本気で担ぐ人が出てきているということだ。

 カジノ法案推進と同じ傾向だ。自分たちがアブク銭を稼げるアイデアがあると、無批判にそのアイデアに乗ってしまう傾向とも言える。

 しかし、そういう私利私欲に目がくらむというのはいつの時代にもあることだ。

 深刻なのは、世の中を主導していくべき地位にある人たちに、一つには社会のあり方を考える基準が消失してしまっているということ、もう一つはそういう立場の人たちが持っていなければならない基礎的社会知識が備わっていないということだ。

 社会の全階層にわたって毒がまわっている。そして議論による解毒が困難になっている。これこそ社会劣化だ。解決策は議論しかない。