2014年11月16日
題名の「弱気」は景気判断などで使われる言葉としての「弱気」である。安倍首相の性格をいうものではない。首相は先行きを「弱い」と踏んだのであった。
今回の衆院解散の大義ということが問題にされているが、選挙結果に影響は有るので無視していいわけではないが、それは所詮あと知恵であって、解散の真の理由ではもちろんない。
首相に解散を決断させたものは権力の維持である。麻生政権は解散に踏み切れなくて、そのまま沈没してしまった。その二の舞を避けなければならないというのが首相の判断である。
ということは、これまでの政策を続けていくことによる情勢の改善が期待できない、ゆえにここで解散、と首相が自らの政策を評価したということを意味する。
アベノミクスを中核とする経済政策の効果に対する首相自らの冷静な「弱気」判断である。外交についても、日中、日韓、日露、日朝関係に局面転換をもたらすような大成果は発生しそうもないという首相の、これまた「強気」ではない客観的判断である。
これらに期待ができるのならば、大義に頭を悩ませなければならないこの時期に解散を断行する必要はない。成果が出た段階で、それを高らかに歌い上げて選挙をすればいい。それができないのだ。
安倍首相は右派的原則論を表に出しはするが、第1次安倍内閣の失敗を教訓に現実的的政治家に変身をしている。集団的自衛権容認閣議決定における公明との妥協がその象徴である。
今回の解散もその現実的政治家・安倍が決断させたものと言っていいだろう。
各種政策はいずれも途中段階であり、決定的段階に至っているものはなく、それゆえに政策効果への期待がしぼんではいない。野党は争点を絞りきれていない。
客観情勢が悪くなり、伝家の宝刀を抜けずに野垂れ死にすることはこれで避けられるであろう。政局的観点からすれば、首相の判断は「正解」と言えるだろう。
さて、国民の立場から考えてみよう。首相自ら、アベノミクスのこれからに自信がなく、外交政策も大きくうまくいくとは考えていない、ということが今回の解散判断で明らかになった。
とすると、選挙の結果で維持されることになる安倍政権はどんな政策を展開することになるのだろうか?
政権が維持されたからこれまでの政策を続けていくというのであれば、自らの政策に「弱気」の判断をしたことと矛盾するのではなかろうか?
首相自らの「弱気」の政策評価がある以上、国民はそれに素直に従うというのが自然であろう。