2014年10月15日
少子化の原因について様々な議論がある。なぜか最重要な原因についての指摘にあまりお目にかからない。
それは女性にとっての男性の魅力の低下とその内容である。男性にとっての女性の魅力は、その最重要要素が美であるがゆえ、メイクアップ技術の進歩によって、相当な向上を示している。しかし、女性にとっての男性は、メイクアップ技術の進歩がほとんど意味ないことは当然として、トータルとしてその魅力を向上させることができず、むしろ低下させている。魅力の程度の問題は両性にシンメリトリカルではない。
いつの世にあっても、男性の選択において、かなりの比率で女性は安定を重視する。その場合、安定志向によって選択される男性の比率は一定の範囲を超えない。安定の判定は相対的観点から行われ、平均値からの乖離が一定程度を超えることは一般的には許容されないからである。
女性による男性の選択にあたって大宗をなす安定志向はもっぱら女性側の問題である。安定志向の女性が7割か、8割か9割か、ということである。わかりやすく言って、そこに男性側が主体性を発揮する余地はあまりない。(少子化問題の原因の半分はこの女性の安定志向の極度の強まりにあるのであるが、ここでは論じない。)
したがって、男性にとって主体性を発揮する余地があるのは安定志向以外の要素の世界であり、その世界で主体性を発揮する男性の比率がどの程度あるかが少子化問題上重要である。
ところで、男性にはそもそも非安定志向というものがある。この志向は他者のために自己犠牲をいとわず、家族をも顧みず、破滅的で非合理的様相を呈する。しばしば社会の不安定要素である。
このような男性の志向を筆者は「侠気」と呼ぶ。任侠道の世界の「侠気」である。
男性のこの性格は、その危険さに関わらず、むしろその危険さのゆえに、女性に魅力を感じさせる。この魅力のために一部ではあるが女性はその安定志向を捨てる。
これこそ男性が主体性を発揮する世界である。
しかし残念ながら、一般的には男性は女性の安定志向に敏感であり、女性の多数派をめざして男性も安定志向である。その安定志向が極度に強まって女性の安定志向を捨てさせる「侠気」が見られなくなっているというのが現在の状態である。
その原因は「侠気」を賛美する社会の傾向が弱まっているからである。言うまでもなく、「非安定」「非合理」が「反社会性」を帯びるものだからであり、社会全体の管理体制が強まって「反社会性」をたくみに抑圧するようになっているからである。
これを経済学では「合成の誤謬」という。個別の合理性が集積して大きな非合理を導いていることをいうのであるが、「反社会性」の抑圧の集積がかえって少子化という社会の根本問題をもたらす結果を招いているわけだ。
対策は明確である。社会、とりわけ女性たちが、「侠気」を賛美するようになることである。そのためにまずは、「侠気」を抑圧するために提供される大手メディアのエンターテイメントを捨て、細々ながら提供されている清水次郎長、国定忠治等任侠道の英雄たち及びその周辺の人たちについての情報からその「侠気」を学ぶことである。