2014年10月14日
どこか外国の調査会社の調査によれば、ラジオで聞き流していたためその会社名を聞き漏らしたが、日本の大企業のうち円相場は95円以下がいいが7%、95円から100円が21%、100円から105円が47%だったという。105円以下がいいというのが75%ということになる。
これを披露した経済学者は(これも名前は失念)、大企業でさえこの実態であり、まして中小企業では……と語り、さらに輸入品の高騰にさらされる消費者にとっては円安はデメリットばかりとして、円安に問題なしとする黒田日銀総裁の認識を非難していた。そして黒田総裁が誤った認識に固執する原因は、株価優先の考え方とアベノミクスの面子にこだわるがゆえともっともらしく解説したのであった。
筆者は日本経済の実力からして120円くらいまでの円安が適当と感じており、それは現状よりも低い生活水準を強いるものではあるが、雇用環境を改善し、社会全体としてはそれがハッピーと考えている(9月20日・本通信1081)。
なぜ、円安をめぐって100%真逆の評価が出てくるのか?いくつかの原因をあげてみよう。
まずその第1は、評価の基準を経済の現在の水準に置くか、経済の実力に置くかという点がちがうということである。
筆者は日本経済の実力に悲観的である。その実力に応じた生活水準の低下を日本国民は耐えていかざるを得ないと考えている。その際、できる限り若年層の失業等極端な悲劇を回避するという観点で経済運営がなされるべきであると考えている。円安はこの観点から好ましいのである。
これに対し現在の水準に評価の基準を置く考えからすれば、何らかの経済指標が悪化すればそれはすべて問題だということになる(今回の場合は実質賃金水準の低下が一番やり玉にあげられている)。その立場にいる限り、どんな経済政策も結局不合格ということになってしまわざるを得ない。実力が低下している以上、経済政策によって何もかもうまくいくということはないのである。何を大事にし、何をあきらめるかというのが経済政策の課題なのである。
その第2は前述の大企業の円安評価である。その評価は大企業が想定していた円相場が基準になっている。企業は一定の円相場を想定して企業戦略を立てている。それによって国内投資の水準、海外投資の水準を決めている。円相場が想定外であることはその戦略の再検討を迫る。短期的には企業にとって水準如何よりも想定外であることのほうが困るのである。すなわち、円相場の水準を企業が「いい」とか「悪い」とか言うのは短期的観点に立っての評価である。中長期的立場からの判断とは異なるのは当然である。
その第3は消費者という概念の狭さである。消費者という概念は国民を消費の側面から見る概念である。しかしながら国民は消費者ではあるが勤労者でもある。金融資産を有する者でもある。トータルして生活者である。それを消費者として消費の側面からのみとらえるならば、輸入物価を上げる円安にメリットがあるはずがない。輸出促進効果があって輸入物価押し上げ効果がない円安などという都合のいい円安はない。消費者という立場に立てば、はじめから円安を評価することがあり得ない立場に立っていることになる。
アベノミクスは批判されるべきである。しかし、批判の根拠として円安を持ち出すことは、アベノミクスの真の問題を隠蔽する効果をもってしまう恐れがある。
真の問題はは出口戦略なき異次元の金融緩和である。円の信認低下、国債の大暴落、財政運営の破綻、これこそ極端な悲劇を我が国にもたらすことになる。消費税10%の回避、景気重視の財政拡大、これも悲劇の引き金になる。
耳触りのいい言葉だけで国民をだましていると、その耳触りのいい言葉に政策が縛られることになる。経済政策のみならず政策全般にわたって安倍首相の言動にはそれがある。それが怖い。