2014年10月8日


 済州島において日本軍による慰安婦調達のための人狩が行われたという吉田清治証言の報道及び本件をめぐる朝日新聞の対応全般に非があったということについて論じるのが本稿の目的ではない。

 証言への疑問が生じた時点から朝日新聞はその疑問についてもっと大きく取り上げるべきであったし、「挺身隊」についての誤認はあまりにも拙劣であり重大である。そのことについて議論の余地はない。朝日新聞に非がある。

 それでは吉田清治虚偽証言があったとき、我が国全体としてどう対応するのが正しかったのか、これを考えたいというのが本稿の目的である。


 吉田清治は証言の信ぴょう性を高めるためであろう、戦争中、日雇い労働者を統制する組織・山口県労務報国会下関支部の動員部長だったと語っていたという。その証言は大衆を前にした講演会という場で語られていた。そういう枠組みで語られた証言を、直ちに虚偽であると判断する情報・知識は、政府にも、報道機関にも、研究者にも、当時不幸にしてなかった。当時は事実としてあり得ると認識される証言であった。

 吉田証言が事実であったとしたら、その後において半ば事実として取り扱われた結果引き起こされた事態が如実に示しているように、極めて重大な日本軍による戦時犯罪であった。


 このような条件にあった場合、事実かどうかということについての留保の付け方には考慮すべきことがあると思うが、はじめに情報に接した報道機関はこれを報道すべきであったろう。報道する前にその事実確認を報道機関に義務付けることは、事実上不可能を強いるものであり、また報道統制につながるものと考えられる。

 そして、報道した責任において報道機関が事実の調査をすべきことは当然であるが、国際関係における事の重大性からして、政府自らが、証言の真偽、関連事実の有無について直ちに調査をするべきであったろう。


 残念ながら、吉田証言がはじめて報道されたのが1982年だったにもかかわらず、秦郁彦氏の調査結果により証言の虚偽が報道され始めたのが1992年であり、政府の調査結果発表も1992年である(河野談話はその1年後)。その間に10年の経過がある。まさに失われた10年であった。

 仮に吉田証言の報道直後に政府の調査が実施され、済州島における問題のみならず慰安婦問題全般にわたる事実確認が行われていたならば、それは真偽に関して疑問があるという政府の表明にもなり、問題が現在のような複雑なねじれを呈することはなかったであろう。

 さらに日本軍による戦時犯罪行為に対して日本政府自らが問題を明らかにしていく姿勢が終戦直後からあったならば、いわゆる「歴史問題」が現在のような問題となることはなかったであろう。

 そのような点において欠けるところがあるから、「臭いものには蓋」をして太平洋戦争をひたすら美化しようというのが日本の姿勢であるとの推定を各国から受け、国際社会における日本の地位にマイナスの影響を与えてしまうのである。