2014年9月20日
ここのところの急激な円安について経済界トップから警戒の発言があった。腹が座っていないと笑うほかない。
変動というものは損得を伴うものだ。それが急激であればなおさらである。状況改善、状況悪化の別を問わない。
いちいちの損をあげつらって改善か悪化かの大局的視点を失うことこそが大損の原因となる。
日本経済が今現実的に取り組むべき課題は「極端な生活破綻の回避」である。
具体的には「失業、特に若年層の失業」と「地方産業の衰退・消滅」という2つの問題への対処である。
いずれも個人の生活という観点からすれば、徐々に生活水準が低下していくのではなく、一挙に生活が崩壊するという「事件」である。
この悲劇を回避するために政府は全力を挙げなければならない。国民はそのための負担を覚悟しなければならない。そして、その際、国民の負担はできる限り平等でなければならない。
政策のよろしきによって負担なしで万事めでたしめでたしというのは幻想である。(アベノミクスのその幻想性を筆者は許しがたい。)
「負担を覚悟」というのは政治家が使う用語であって、ストレートに言えば、生活水準の低下を受け容れるということである。所得水準の低下、物価の上昇、増税、政府サービス縮小のいずれか、あるいはこれらの組み合わせということである。
このような観点に立った場合、いろいろな方法のうち、円安は非常にうまい方法である。
円安とは、それによる物価上昇を通じて、それぞれの生活の輸入依存度に応じた生活水準の切下げを行うということである。実質的賃金水準の低下である。
この結果、日本の産業の国際競争力が高まる。輸出産業にも、輸入品競合国内産業にもメリットがある。
円安による輸出促進効果への疑問が最近生じているが、冒頭指摘したようにそれは変動に伴って生じる過渡的現象である。
実質的賃金水準の低下によって日本の産業のマーケットが拡大し、仕事が増える。失業問題は改善し、地方産業復活のチャンスが生まれる。
このことを他の方法で実現しようとするのは困難性が高い。名目賃金の引き下げ、さらなる増税、社会保障水準の切り下げ、いずれも政権の命取りだ。
円安がベストなのである。それは我が国の労働生産性の相対的優位性の喪失という実態を円相場に反映させるというナチュラルなものでもあるからだ。
なお、「円安がベスト」とは決して「成長」という言葉がイメージするような明るい道ではない。そのことは誤解しないでいただきたい。
失業、産業消滅という極端な事態・悲劇を抑制するという意味でベストだということである。日本経済に明るい道はないということを肝に銘じていただきたい。
(アベノミクスの中でこの円安だけは筆者は評価しているのだ。)