2014年9月13日
多くの議論の場合と同じだが、慰安婦問題における事実認識についての混乱の原因は言葉の定義がなされていないことによる。
その言葉とは「強制連行」である。
慰安婦問題に関する事実については3内容に分けて考える必要がある。
その1は施設の設置である。その2は従事者の調達である。その3は事業の管理運営である。
この3内容のうち1の施設の設置、3の事業の運営については、直接的には民間によって行われたこと、しかしこれらについて軍が深く関与していたことに意見の不一致はないと言っていいであろう。混乱しているのは2の従事者の調達に関してであって、そこにおいて「強制連行」があったか否かに尽きる。
議論を噛み合わせるためにはまず、「強制連行」を次のように定義することが適当であろう。
「軍が、自ら、女性を拉致、誘拐、拘束して、慰安施設に収容すること、又は軍が、拉致、誘拐、拘束という手段がとられることを認識しつつ、女性を慰安施設に収容することを他に委託すること」
この定義に2点の注釈を加えておく。
第1点は、この定義では「強制連行」を軍の直接行為と委託行為とし、いずれも軍が主体の場合としたということである。
拉致、誘拐、拘束は軍以外のものによって行われる場合も当然ある。
しかし、国家責任を考える場合、軍が主体である場合とそうでない場合では、もちろんそうでない場合も責任がないとは言えないのであるが、責任の程度が大いに異なる。
したがって、「強制連行」の定義としては軍が主体の場合としておくことが適当なのである。
言うまでもなく、だからといって事実の究明をそこに限定すべきであるということを言っているのではない。
第2点は、しばしば「本人の意思に反して」ということが「強制連行」のすべてであるかのように語られるのであるが、それは問題を混乱させることになる。そう考えてその言葉を定義の中に入れなかったということである。
それは家族による「身売り」ということを考慮に入れなければならないからである。
そのようなことが慣行としてあったことは不幸なことであるが、国家責任を考える場合、やはりはっきり区別して考えなければならない。
最後に定義とは関係ないが、事実認識で混乱しているのは朝鮮半島でのことについてであって、太平洋戦争全体を通じてみれば、定義した「強制連行」があったことは否定できないということを指摘しておきたい。
以上の整理の上で議論すれば、未解明というものは残ることになるかもしれないが、解明された事実に基づいて議論を噛み合わせることが可能になると考える。