2014年9月10日
僕より5歳年上の人のエッセイ集を読んだ。その中に子供時代の思い出がたくさん出てくる。少しばかりのズレはあるが、ほぼ僕の子供時代でもある。だからなつかしい感じにさせられた。でも、少々違うという感じが否めない。ほぼ同じ時期に暮らしながらも、見えているものに違いはほとんどなくても、楽しみ方、受け入れ方が違うのだ。
彼は山の手の、大金持ちというわけではないだろうが、たぶんお坊ちゃんだ。こちとらは下町、住工混在地帯の労働者の息子である。
戦後復興で物資の出回りが改善され、アメリカ的生活様式の浸透もあって、世の中に明るい兆しが出てきたところだが、具体的生活ぶりとなると、やはり、かなり、違う。
当時、僕は自分の状態が貧困だという自覚はまずなかったと言える。雨露がしのげず、空腹飢餓状態という絶対的貧困ではないから、まわりと同じであれば、それが普通と感じるだけだった。
しかし、このエッセイ集を読んだのをきっかけに思い出してみれば、ちょくちょく悲しいこともあった。忘れないうちに書き出しておこうと思う。浮かんできた順番だから時期の前後はバラバラだ。
1 紙芝居
紙芝居は2円3円5円とかそんなレベルの駄菓子を売る商売だ。子供たちを紙芝居で釣る。駄菓子の購入で紙芝居鑑賞の権利獲得ということになる。
我が母親は、不衛生だとか言って、紙芝居のための小遣いを決して僕にくれなかった。いつも僕は後の方でそっと紙芝居を見ていた。
ある時、紙芝居のオヤジが「タダ見」とか言って僕をとがめた。僕は見続ける仲間たちと別れなければならなかった。なかなか悔しく、情けない思いをさせられた。細身でハンチングのあのオヤジの顔を僕はまだ覚えている。
近所に来る紙芝居は頻繁に変わっていたように思う。その地域では商売が成り立ちにくかったのだろう。
ちなみに、僕の生まれる前だが、戦後、祖父が紙芝居をやっていたという。失業中の父親が紙芝居の絵を描いていたそうだ。営業地域は井之頭公園付近だったという。そちらであれば多少売れ行きはよかったであろう。
2 おもちゃ
おもちゃがほとんどなかった。こわれた木製の汽車だけを覚えている。
僕はなぜうちにはおもちゃがないのか尋ねたことがある。おまえが乱暴で、みんなこわしてしまったのだ、と言われた。こわした記憶はまったくない。
弟によれば、頻繁にあった僕が母親に叱られ、ぶたれるのは恐怖だったというのであるが、僕にはその記憶がまったくない。
そんなことなので、ほんとにおもちゃをみんなこわしてしまったのか、そんなことはなかったのか、あまり自信をもって断定できない。
(続く)