2014年9月2日
ご存じ北一輝、2.26事件の首謀者として代々木練兵場で銃殺されたあの北一輝、直前に「天皇陛下万歳」を促されてやめておこうと応じた北一輝、革命資金調達において今の世の総会屋の原点たる北一輝、熱心なる法華経信者北一輝、今日なお多くの崇拝者を集めているが、まがまがしき雰囲気に包まれていて、一般の人間が学ぶべき存在という位置づけはなされがたい。
筆者はたまたま、北一輝弱冠23歳の著作「国体論及び純正社会主義」を手に取る機会があって、その天才と名文に驚いた。大著の入口のところまでしか読んでいないが、予想していた狂信性は感じられない。ただただその論理性と文章の迫力に感心させられている。青年将校たちが心酔し、当局が危険視したのももっとものことと思われる。
文章の勢いをなるべく失わないように注意しつつ、その一部を読みやすく書き直して披露させてもらおう。人間はそもそも不平等に造られているという、客観性を装ったシニカルな考え方に対する北一輝の反論である。百読してこの文章のリズムを身につければ、人みな名文家に近づけるはずだ。
「 社会はその進化に応じて正義を進化せしむ。河流は流れ行くに従いて深く広し、歴史の大河は原人(注:原始人)部落の限られたる本能的社会性の泉よりして(注:泉から)社会意識発展の大奔流となりて流る。――人類の平等観これなり。家長権の制限、婦人の独立、奴隷の解放、しかして国王と貴族とを転覆せるフランス革命の大瀑布。社会主義はこの大瀑布の波瀾を受けて千尋の断崖に漲(みな)ぎり落ちんがために奔(はし)りつつある社会意識の大河流にあらずや。このナイヤガラを経てオンタリオ湖に落下し、社会意識が鏡のごとき湖面に漲(みな)ぎり、人類の平等観が全地球に発展せられたる時――ここに社会主義の主張する社会の進化と、個人主義(注:社会主義の前段階という北の考えがある。)の理想したる平等の平面の上に行わるる自由な活動がある。もし6千年の歴史(注:4大文明発生からの計算か?)を有する我らにしてこの大河流に浮かびつつあるもの(注:「流れの中にあるもの」との意)なることを解せざるならば、歴史なきことにおいて祖先が猛獣と戦いしというがごとき口碑(注:言い伝え)伝説よりほか有せざる南洋の土人にも劣る。(否!東洋の土人部落(注:日本のこと)においては2千5百年(注:神武天皇以来という計算であろう)の平等観発展の大河流を順逆論(注:順を逆にする論という意か?)に蔽(おお)いていまだ一の歴史なし。有する者は南洋のそれのごとく口碑伝説を集めたる古事記日本紀のみ。)――ゆえに我らは自由平等論をかかる意味において主張す。すなわち社会進化の理想を実現せんがためにかつて家長専権となり君主無制限となり奴隷制度なりしごとく、社会の進化して同類意識がいちじるしく鋭敏となりて在来の正義とされたる不平等を排し、平等を正義とし平等の団結自由の活動によりて今後の社会を進化せしめんとするにありと。戦争による略奪の権利、占有による土地私有制度が社会のある進化までは適合して正義なりしがごとく、家長権も貴族も奴隷もまた社会のある進化までは十分の正義として社会の目的に適合したるものなり。……」