2014年8月19日
日華事変から終戦までの日本人戦没者310万人を有権者とし、A級戦犯で靖国神社に合祀されている人々を対象として、彼らの集団としての戦争指導について信任投票を実施したとする。
できれば刑罰を科すべきか否かの投票としたいところだが、刑罰不遡及の原則(ある行為を事後の定めた法令によって違法として処罰することを禁止するという原則)からそれは不適当と考え、やむを得ず信任投票という形式をとるのである。(企業経営に失敗し倒産にいたらしめた経営陣を刑法犯とすることはできないが、企業構成員が信任投票というかたちでその責任を問うことは可能であるはずだ。)
投票に際しては、戦前に与えられた情報水準にとどめるのではなく、有権者として知っておくべき情報を追加的に提供すると仮定する。
投票日を終戦直後とするか平成の現在とするかの選択はあるが、投票結果に有意な差は生じないであろう。
靖国神社は一般の戦災犠牲者は祀られていないので、310万人の有権者がみんな祀られているわけではない。戦死、戦病死した230万人余が祀られている。有権者の4分の3が祀られているということになる。(戦死、戦病死でないA級戦犯が祀られているというの例外である。)
どう考えても投票結果が圧倒的不信任となるのは必至である。
靖国神社では、圧倒的に不信任投票する有権者230万人余とこれら有権者に断罪されるA級戦犯が英霊として同居しているのである。靖国の神々がいます処は異様な状況にあると思わざるを得ない。
靖国神社にA級戦犯を押し込んだ人々は230万人余の英霊に対してこの状況を何と説明するのであろうか?
押し込まれたA級戦犯の人々もさぞ居心地が悪いのではないだろうか?
靖国神社A級戦犯合祀は、無念の死を遂げた人々への配慮に欠けた、軽薄戦後文化がもたらせた無責任なお節介だったと言えるのではないだろうか?
靖国神社参拝はまずお詫びから入らなければならないのではないか?