2014年7月16日


 14日、15日と集団的自衛権行使容認閣議決定に関する衆参予算委での閉会中審査が終了した。素朴な2つの疑問が生じた。その疑問は問題の本質にかかわると思う。

 国会はこれで夏休み入りということになるのだろうが、この問題を夏休みにさせておくわけにはいかない。


 「疑問1」

 ホルムズ海峡機雷除去活動は新武力行使3要件(従来の武力行使3要件とともに文末に掲げておく。)に該当するものとして自衛隊が実施しうるというのが首相答弁である。我が国の原油の8割と天然ガスの2割がこの海峡を通って供給されており、その海峡が封鎖される事態は我が国経済に大きな打撃を与え、国民生活に死活的影響が出るというのがその理由である。

 この理由が武力行使を許容しうるものとすれば、ホルムズ海峡が軍艦によって封鎖されても、陸上からのミサイルの威嚇によって封鎖されても、その状態を解消するための武力行使もまた許容されるはずである。しかし、なぜか許容されるとされるのは機雷除去活動だけである。イラク戦争、湾岸戦争などのような戦闘に自衛隊が参加することはありえないと何度も首相は表明している。

 機雷除去活動は敵との戦闘を伴わないというイメージがあるから、別言すればいかにも受動的行動という印象があるから、という以外にこの扱いの違いを理解することができない。ルールから導き出されるものではなく、国民世論工作上の選択としてしか考えられない。

 ここに政府による武力行使についての恣意性・不安定性が明確に現われていると言えるだろう。また、この一般化、ルール化が困難な恣意性を法律化することは極めて困難であり、立法作業の難航は必至であろう。


 「疑問2」

 国会の論議において、問題は閣議決定による憲法解釈の変更であるはずにもかかわらず、質問でも答弁でも憲法9条条文に言及されることがまったくない。憲法上、不保持のはずの「戦力」という言葉も、否認されている「交戦権」という言葉もまったく出てこない。出てくるのは新武力行使3要件ばかりである。

 従来の武力行使3要件は憲法9条条文から導き出されるものである。憲法9条条文と論理的な関係を有している。すなわち、「戦力」ではない「実力」、「交戦権」によるものではない「戦闘」とは何かという問題設定から武力行使3要件が出てきている。これに対し新武力行使3要件は憲法9条条文との論理的関係があるとは認められない。9条にこう書いてあるから武力行使の要件がこうなるという説明はまったくない。

 歯止めがあるとかないとかの議論があるが、従来の武力行使3要件の歯止めの根拠は憲法9条にあった。しかし、新武力行使3要件の歯止めの根拠は憲法9条にはないのであって、新武力行使3要件が「歯止め」を創設しているのである。「歯止め」の格落ち、劣化は議論するまでもなく明らかである。憲法9条は武力行使要件とは無関係の宙吊りになっている。


 「参考」

 9条2項にある「交戦権」とは、外交防衛政策上の手段として、国は戦争をする権利、宣戦布告をする権利、人を殺したり、財産を破壊したり、捕虜にするなど自由を拘束する権利をもつということである。そして権利には行使するかしないかという選択性がある。9条2項はその選択は認めないとしているのである。

 従来の武力行使3要件では、我が国が攻撃されるという不正急迫の事態への対処は選択性のある事態ではない、選択するまでもなく防衛のための戦闘を余儀なくされる、ゆえにそれは「交戦権」の行使とは言えない、ゆえに憲法9条2項に違反しない、という論理に立っている。

 これに対し、新武力行使3要件にはそういう論理はない。集団的自衛権の行使というのは、オートマティックに行使されるものではなく、まさに選択されるものである。首相答弁でも最終的には政府の総合的判断で行使を決定するとしており、その選択性を当然の前提としている。しかし、それこそ憲法9条2項が否認している「交戦権」というものである。すなわち、新武力行使3要件は明らかに憲法違反である。


【新武力行使3要件】

(1)我が国に対する武力攻撃が発生した場合のみならず、我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある場合に、(2)これを排除し、我が国の存立を全うし、国民を守るために他に適当な手段がない時に、(3)必要最小限度の実力を行使すること


【従来の武力行使3要件】

(1)我が国に対する急迫不正の侵害があること(急迫性、違法性)(2)これを排除するために他の適当な手段がないこと(必要性)(3)必要最小限度の実力行使にとどまるべきこと(相当性、均衡性)