2014年7月10日
筆者は「禅」の何たるかを知らない。「禅」の体験はない。当然、「禅」を批判する立場にもないし、能力もない。
ところで天下の大新聞朝日は「禅」の何たるかを知り、「禅」をうんぬんする力があるのだろうか?社員の中にはそういう人もいるかもしれない。しかし、7月8日(火)夕刊トップの「谷中の全生庵 異色の禅寺~安倍首相から財界人まで」という藤生明記者の署名記事の内容、及びそれを採択し、夕刊トップに据えた編集責任者にそれがあるとは考えがたい。
記事の内容は、東京・谷中にある全生庵という禅寺が「日本で一番予約の取れない座禅会」という人気ぶりで、安倍首相ほか名のある人たちが参禅している、立派そうな46歳の若い住職がいるというだけのことにすぎない。実にメッセージ性に乏しい夕刊トップである。
名前があがっているのは、安倍首相、中曽根元首相、安倍をここに誘ったという山本有二元金融相、寺を建立した山岡鉄舟、山本玄峰・臨済宗妙心寺派管長、歴代首相の指南役を務めたという右翼的思想家四元義隆、転向右翼の田中清玄、レコード会社エイベックスの依田巽、武村正義元官房長官、古川元久元国家戦略室長、政治学者中島岳志。最後の3人は四元氏の人脈とされ座禅会、勉強会を続けているとされているだけで、全生庵との関係は記事からでは判断がつかない。住職の紹介にかなりの字数が割かれているが、禅僧の修行として特別なものがあったとは思われず、偉そうなイメージが与えられるだけで、ほとんど内容はない。
「魅力はどこにあるのか」と自ら設問しておきながら、「禅」それ自体への言及はまったくなく、効能があるかの如くと書かれているが、そもそも効能をうんぬんすることは「禅」に反するはずだ。首相を退陣し、病院から出てきた安倍が当初、じっと座っていられないほどだったのが「大きな庭石のような存在感を感じる」(山本有二評)とか、「首相の再起のきっかけになってくれたのはうれしい」(住職談)とか、安倍首相が禅の上で立派になったかのようなことが書かれているに至ってはこの記事の政治性が疑われてくる。
「心をリセットして本来の自分に戻る」「自らの心と向き合ってきた」「政治のすき間を埋めるオアシス的な役割を果たしてきた」といった説明も内容不明で空疎である。安倍首相について言えば、「自らの心と向き合い」「本来の自分に戻る」とは戦後レジーム脱却という課題を改めて背負い直し、「気が大きくなった」だけのことにすぎないのではないか。そんなことを「禅」の効能のごとく述べるのであれば、「禅」とはむしろ社会に害悪をもたらせていることになる。
メディテーションがブームになっているという事実はある。精神医学的に効能はあるのであろう。それはそれでけっこうであって、それを否定する考えはさらさらない。客観的なデータに基づいてその効能が報道されればよい。ただそれは夕刊トップにはならないだろう。
「禅」の何たるかについては、新聞たるものの限界を超えていると思われる。しかし、そのヒントになるようなことがあれば報道してもらいたい。ただ、それがヒントたり得るのかどうかということについては、おそらく「禅」の深い修行が必要であろう。かつ、それは夕刊トップにはならないだろう。
今回の朝日の記事は多くの面において不見識極まりない。政治の世界に不穏な雰囲気が漂っているこの時期にその不見識はいかにも情けない。
筆者の高校時代、クラスで坐禅をしようという提案があり、同窓会館にある和室で坐禅が行われたことがある。その時、のちに東洋哲学の道に進んだクラスメイトが「野暮禅」はやらないほうがいいと反対した。真面目そうな顔をして坐禅する連中を笑いながら筆者ほか数人は隣室の布団部屋で遊んでいた。