2014年6月25日
政府スポークスマンも統合参謀本部も民間軍事評論家も日本は勝つと言っていたはずだ。戦うことの正義に疑問はないと言っていたはずだ。ここまで来たら戦うほかに選択はないという説明だった。装備、意欲、戦術に隙はない、そこまでは言っていないと弁解するのは卑怯だ。そういう雰囲気作りをしてきたのは確かだ。だから正規軍と同じ制服を着て民間戦闘員も多数戦場に赴いたのだ。
部分的勝利シーンを何度見せられても敗北は敗北だ。いつも後知恵の軍事専門家は相変わらず語り続けるが、その語り口は証券会社と同じではないか。戦争と株を一緒にしていいのか。4年後は勝ちますよと、また同じ商売を続けるつもりなのか。敗戦の責任をとって自刃するのが侍のはずだ。侍ジャパンとはだれが名づけたのだ。
国民全体をここまで連れてきたのはマスコミだ。戦争記事は書きやすい。報道しやすい。勝ちと負けしかなくて報道姿勢を迷わないでいいからだ。番組作成にスポンサーとの微妙な調整の必要もない。視聴率が上がってめでたし、めでたしだ。おかげで老若男女一体となって忘我の興奮を味わうことができた。
しかし、戦場で多くの若者の命が失われた。相手国軍隊のみならず、住民をも殺す結果となった。秘密保護の名のもとに悲惨は隠されている。嘘が山積している。帰国後の兵士のPTSDの深刻を覚悟しなければならない。
おっと、現実はサッカーの敗戦だ。サッカーでは人の命は奪わない、奪われない。
とはいえ安心してはいられない。ほとんどの国民が不確かな情報と根性論で、いともたやすくマインド・コントロールされてしまった。この点において戦争とサッカーに本質的なちがいがあるとは思えない。