2014年6月18日


 それは現実だと思われていて、その結果、多数の人々に大きな影響を与えているにもかかわらず、その実態はないということがある。それを「仮想現実」と名付けてみた。

 「番町小→麹町中→日比谷高→(駿台)→東大」という伝説的進学コースがある。筆者は多くの東大卒業生でこのとおりのコースを歩んだ人間を1人しか知らない。この幻の進学コースを現実とみなして、脱法的手段まで使って子どもを番町小学校に入学させた親もいたはずだ。コースを歩まなかった子どもを許さなかった親もいたにちがいない。「仮想現実」により人が不幸になっているという事実がここにある。とはいえ、この「仮想現実」は進学競争のカリカチュアにすぎず、そもそも経済的に恵まれた階層での現象であるにとどまる。


 現代日本で広く一般に深刻な事態を引き起こしている「仮想現実」は、「団らん家族の幸福の普遍」という「仮想現実」である。「トイレ内作法」「入浴作法」「調理法」の家庭ごとの意外なほどの千差万別に象徴されるように家庭内部はなかなか外からうかがい知れない。それゆえに「団らん家族の幸福の普遍」という「仮想現実」は反証されることなく現実として信じられ続けている。

 テレビのホームドラマがかつては「団らん家族の幸福」の幻想を振りまいてきた。最近はそのようなドラマは流行らなくなってきた。しかし、代わって登場してきている反ホームドラマ的ドラマが、実は「団らん家族の幸福」という理念に基づいたドラマであることは、注意して見ればすぐに了解できることである。すなわち、反ホームドラマ的ドラマも「団らん家族の幸福の普遍」という「仮想現実」の現実性を強める役割を果たしているのである。


 このため、老若男女を問わず、現代日本の多くの人々は、「団らん家族の幸福の普遍」が「幻想現実」であることに気づかず、「団らん家族の幸福」が社会の平均的姿であると考え、自分は「団らん家族の幸福」から排除された不幸な人間だという自己否定的感情にさいなまれて日々を過ごしている。そして、「団らん家族の幸福の普遍」の「現実性」を強く信じていればいるほど、その幸福を享受できない自分に対する否定的感情は強まるのである。他の家族の実情を知るチャンスがほとんどないという隔離状態に置かれている現代の生活ぶりは、「団らん家族の幸福の普遍」の「現実性」をますます強めることになっている。


 そして、「団らん家族の幸福」からの疎外感を持っている人間にとっての他者、とりわけ身近の家族、クラスメイト、職場の同僚などは、自分を「団らん家族の幸福」から遠ざけた原因、すなわち加害者として認識される。その結果、そのような他者と円満な人間関係を形成することは困難になる。

 それが「ひきこもり」であり、「いじめ」であり、「愉快犯」であり、「放火魔」であり、自己否定と他者敵視がエスカレートした究極に無差別大量殺人があるのである。


 「団らん家族の幸福の普遍」という「幻想現実」は、社会全体に自己否定感情と相互敵視を蔓延させ、社会の不安定度を増加させる病原菌である。