2014年6月14日


 「満州は日本の生命線」とは日本の満州進出(=中国侵略)正当化のために掲げられたスローガンである。

 これはこのように言い換えられる。「満州への武力攻撃の発生は、我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆されるおそれがある事態である。」

 すでにお気づきのようにこの文言は、閣議決定予定の集団的自衛権発動の新要件からもってきたものである。閣議決定案は、「我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆されるおそれがある」場合は武力行使可能としているのである。戦前の満州に対する我が国安全保障上の認識に立てば武力行使を可能とすることになる。閣議決定案は、要するに戦前の満州の事態を抑止することができないものなのである。こうなれば、もはや日本の憲法を平和憲法と呼ぶことはできないだろう。


 このようなとんでもない案が大手を振ってまかり通る原因は、現行の9条についての政府解釈の意味を政府自民党中枢がわかっていないからである。そして困ったことに、マスコミもわかっていないのではないかと思われる報道振りにしばしば接するのである。

 すなわち、「憲法9条は個別的自衛権を認めているが集団的自衛権は認めていない」という考え方だが、それを現行政府解釈だというのは間違いである。


 個別的自衛権行使の事例は、我が国への直接の武力攻撃への対応のみではなく、敵国軍事基地への攻撃、海上封鎖による兵糧攻め、他国の集団的自衛権発動を予定する条約の締結等々多様な内容を持つ。現行政府解釈はこれらの個別的自衛権の行使に制約を与えることによって、憲法9条との整合性を確保しているのである。すなわち、個別的自衛権のうち9条2項の「戦力」「交戦権」に当たらない場合に限って個別的自衛権行使が認められるとしているのである。


 集団的自衛権の行使が憲法上認められないのは、それに投入される武力は「戦力」であり、「交戦権」の行使だからであり、個別的自衛権といえどもすべてが認められるというのではなく、「戦力」にあたらず、「交戦権」の行使に当たらない範囲でしか個別自衛権の行使も認められないのである。これが憲法の定めるところである、というのが現行政府解釈である。ここが問題を理解するうえでの中核である。

 


 文理解釈上、集団的自衛権の行使を憲法上認めるのはまったく不可能である。認めるとすれば、憲法改正しか方法はない。

 閣議決定案は1972年の政府見解の精神を踏襲しているかのように装っているが、まったく似て非なるものである。国民が欺かれてはならない。