2014年5月30日
引き続き舎利弗と天女の対話です。
舎利弗「 天女さん、あなたはなにを得、なにを悟って、そのように巧みに話すのですか?」
天女 「 わたくしはなにも得ていませんし、悟ってもいません。なにかを得、なにかを悟ったと思っている人を、仏の教えでは慢心(増上慢)の人といいます。」
悟ったと思っている人は慢心の人、ということは、悟りを自覚することはない、ということになります。
維摩経の世界では釈迦をはじめたくさんの仏がいることになっているのですが、その仏たちはどういうことになるのでしょうか?仏は仏たる自覚なき仏ということになるのでしょうか?