2014年3月6日



 ねらいの本が新刊の小説だったので、いつもは行かない三軒茶屋の本屋に行った。その日の新聞広告に出ているにもかかわらず、ねらいの小説は置かれていなかった。その本屋で偶然「経済学は何をすべきか」という書名が目に飛び込んできた。見れば発行は日本経済新聞社、冒頭論文は岩井克人氏(東大名誉教授)の「経済学に罪あり」である。岩井氏の本は新刊が出れば購入することに決めている。本の衝動買いで当たったことはないので、多少のためらいはありながらも、買わずにはいられずに買った。

 昨日これを読了したが、岩井氏の部分を除けば、内容のお粗末なことこの上なく、途中で投げ出したい気持ちを抑えてのやっとの読了であった。

 経済学の現状とはこのようなものなのかと、これまで経済学に心を寄せてきた筆者は呆然とさせられた。頭から血が引き、立ちくらみに襲われたようだった。



 冒頭の岩井氏の論稿に続くのは鶴光太郎氏(慶大大学院教授)と小林慶一郎氏(慶大大学院教授・キャノングローバル戦略研究所研究主幹)の対談「日本の経済論争はなぜ不毛なのか」である。この対談は要するに、経済学を理解していない人たち(と対談者が判断している人たち・評論家、マスコミ、政治家等)が誤った経済議論を展開するようになっていてけしからん、ということを言っているにすぎない。そこに真実はあるものの、この事実に対抗するには経済学が正しい状況把握と対処方法を提起するほかはないはずだ。しかし、この対談では「そもそも経済学として、日本の現象が分析しきれていませんでした。」「今の理論体系では残念ながらまだ解明できていません。」という正直は結構だが、極めて情けない物言いである。


 次は中神康議氏(みさき投信(株)社長)・小林慶一郎氏(前出)共同執筆の「資本生産性は倍増できる」である。これは、日本の低い資本生産性(要するに株式投資リターンのことだ(筆者注))を高めるためには株主がもっと企業経営に関与せよ、しからばリターンは増えるはずという、ほとんど実質的に無意味な机上の空論である。


 続く矢野誠氏(京大経済研究所教授)の「現代の金融危機と「市場の質理論」」もひどい。かつての労働搾取、金融独占、大恐慌、そして最近のリーマンショック等をいずれも「市場の質」の問題とし、「現代経済の健全な発展成長には高質な市場が不可欠である」、「高質な市場の形成には、市場を取り巻く諸要因(=市場インフラ)に適切なデザインが必要である」とする。それは、事前に問題意識があればそれを回避するように市場を仕組んでおくことができるということにすぎないだろう。大事なことは、いかに事前に問題意識が形成されるかというところにあるはずだ。そのことに気づいていない無意味な議論だ。


 最後は大橋弘氏(東大大学院教授)の「経済学にイノベーションを」である。経済学がもっと実務的に活用されるべきであり、マーケティング、政策決定・政策評価等の分野が考えられる、その際、政策決定等における法律系人材の優先が改められるべきである、等の主張である。的確な現状把握もできず、問題の前で右往左往するだけという経済学の実態を横に置くノンキな議論である。


 こんなことでしかない学問にだれが魅力を感じるだろうか。こんなことでは、これからの若い人たちが、就職の手段として学ぶのは別として、意欲を持って経済学に取り組むことを到底期待できない。

 経済学とは、歴史的展望にたって現代社会をいかに捉えるかという知的活動の重要な一角を占めるべきものだ。日本のマスコミの中でも信頼性の高い新聞社から発行された「経済学は何をなすべきか」という書名の本がこのような低水準であることに日本社会全般の危機を覚えてしまう。この本の出版は日本経済新聞の出版担当部局の間違いであって、決して経済学の現状を表わすものではないことを祈りたい。


 なお、冒頭の岩井氏「経済学に罪あり」は、新古典派経済学(市場システムの完全な貫徹こそ社会の生産力を最大化するものとする「経済学的信仰」(筆者注))を批判し、不均衡動学(市場システムの不完全さを人為的是正措置でカバーしなければ社会はうまく機能していかないという立場の経済学(筆者注))の正当性を主張するもので、現在の経済の不安定の原因を資本主義が本来的に持っている投機性から解く、説得性の高い論稿である。他の部分とは別格の充実した内容であり、ご関心の方には是非ご一読されることをお勧めする。これがあって筆者も正気を取り戻せるのである。