2014年3月1日
大正7年(1918年)12月17日宮岡恒次郎は東京地学協会例会において「米国人の国民性に就ての所感」という論題で講演を行っている。その講演筆記が大正8年(1919年)3月15日同会発行の「地学雑誌第31年第363号」に掲載されているのでその概要を紹介する。
第1次世界大戦終了直後、パクス・ブリタニカからパクス・アメリカーナへの転換を迎えた時点での他国理解不十分による外交の危険を警告するもので、ここのところ偏狭性を強めている我が国外交にとって示唆するところ大きいものがあると考えられる。
・ 日本に来る外国の文物の一番多くはアメリカからのものである。にもかかわらず、日本人はアメリカ人の国民性をはなはだ誤解している。
・ アメリカは物質的・形而下のことについては発達しているが、精神的・形而上のこと、無形の忠とか義とか美とかについては日本に劣っていると日本人は考えている。これは大変な誤解である。
・ 自分のことは自分でするという精神にあふれており、労働を尊いものであると考えている。自分(宮岡)はその実例を多く見てきた。
・ 日本人が金もうけを卑しいと考えるのに対して、アメリカ人は金がもうかるのはefficiencyのしるし、人の能率のインデックスという観念を持っている。
・ 公共心から一般人の向上、道徳教育の普及のために金を拠出するという事例が数多くある。例えば、私財提供により設立される大学が多く、また鉄道、電信も私営されている。私的に設立され、研究費までまかなっているというロウエル天文台という例もある。
・ アメリカ人を金稼ぎばかりする卑しい人間とみるのは浅薄である。
・ 英語を勉強するなら、実用英語ばかりでなく、詩を読み、美文を味わうことまでしなければ、国民性を理解できない。このことは朝鮮に関しても然り、中国に関してはなお一層然りである。
・ 国のために奉仕しようという精神にアメリカはあふれており、第1次世界大戦戦費調達のための国債募集への積極的対応など国民的盛り上がりは日露戦争時の日本以上である。
・ 勇敢に戦って戦死するものも多い。一家から出ている兵士の数を星の数で表わすサービス・フラッグというものもある。
・ 第1次世界大戦へのアメリカ参戦を利害でのみ考えることはできない。ドイツの専制・武断政治に対する批判について国論の一致がある。国論一致のために堂々と公の文章を著わし、大衆への演説を展開するという努力が行われている。
・ アメリカ人が決して唯物論・実利主義だけの人間でないことがわかる。
・ 女性も社会に出て様々な職業に就いて働いている。
・ 芸術の分野でも今やアメリカが一歩進んでいるという気がする。
・ 殺風景な連中、劣等の人間、修養のない人間ばかりを見て、向こうの善い所を見ず、人格の高い人に接しないでアメリカを判断するのは間違っている。
・ 自分は子供のころからアメリカ人を理想の高い人間だと思っていたが、このたびの戦争(第1次世界大戦)をめぐる内部事情を見ていてあらためてその感を強くしている。
ざっと、このような内容の講演である。いささかアメリカ礼賛が過ぎるという気もするが、また当時ゆえの考えというのもありはするが、世界を知らずひとりテングになって次第に反米姿勢を強めていく軍部を向こうに回した知米、親米派の挑戦的講演内容と評価することができるであろう。
その後、軍部は宮岡恒次郎に対して様々な嫌がらせをし、圧迫を加えたようだ。恒次郎は昭和18年、太平洋戦争のまっただ中で死を迎える。狂ってしまった社会は恒次郎の警告を聞く耳を持たなかった。無念の死であったであろう。