2014年2月4日
限りある貴重な資源(労働力を含む)の配分が一権力者によって決定されてしまうことの問題性を金正恩がありありと示してくれている。
教育施設や養老院向けと称して水産物冷凍施設建設に熱心らしい。しかし、コールド・チェーンが整備されていないと冷凍品は流通しない。冷凍施設がまったく無駄な投資に終わる可能性がある。
支配層向けの遊園地、プール、スキー場に熱心となると、もはや論評に値しない愚挙というほかはない。
資源配分の妥当性は、それが公共目的の場合は民主主義プロセスによるチェックが、非公共目的の場合はマーケットによるチェックがなされなければならない。それがないと社会は壮大なる無駄をしでかすことになる。北朝鮮の事態はまさにこれに該当する。
さて、我が国の話である。
アベノミクスの第1の矢、「異次元の金融緩和」とは、実は資源配分の妥当性についてのマーケットのチェック機能を無化するものである。淘汰されるべき産業、企業がジャブジャブの金融緩和によって資源の無駄遣いを続けているのだ。FRBが緩和策からの出口を求めて苦悩しているのはこのためである。中央銀行のミッションは金融政策を通じた資源配分の適正確保である。日銀にその問題意識が欠けているとすれば、もはや日銀に中央銀行の資格はない。
第2の矢、「弾力的な財政出動」は、景気回復を錦の御旗としてそのばらまき的実態への批判を封じている。あれにもこれにも金を回せという事態になっている。財政再建が課題になっていることの意味は、政府支出に配分できる資源が限界に至っているということである。にもかかわらず、財政状況無視の声が満ち満ちている。民主主義プロセスの大前提は正確な事実認識だが、その前提が崩れつつある。財政逼迫下でのオリンピック開催のナンセンスがその象徴だ。細川も宇都宮も腹の中は別だと思うが、そのナンセンスの圧力の前にひれ伏さざるを得なくなっている。
金正恩を笑うことはできないはずだ。北朝鮮も我が国も「ぼんぼん」を頭に戴いて同質の道をたどっているのだ。「俺たちに明日はない」と言いたくなる。