2013年12月30日
前々回、前回に引き続き「富岡日記」の中のおもしろエピソードである。
その6 業務外での長州出身者との角逐
夏場の健康増進のため夕方から9時ごろまで盆踊りが行われるようになり、大勢力の信州出身者(工女約600名中約200名)が中心となる。これに対し長州出身者約50名が対抗して踊りを始める。それは盆踊りではなく、なかなか優雅な踊りだったようである。この長州の踊りに対して、薩長藩閥政治の下で長州寄りの姿勢を示す工場側が、信州に対してはなされることがなかった高張提灯を仕立てるというサービスをする。特別な照明をしたわけだ。これに反発する信州勢は盆踊りをやめて、部屋に引きこもってしまうのである。引きこもりは途中でやめることになるが、信州勢は踊りはもう踊らないのである。
その7 一等工女指名の大騒ぎ
一等工女の月給は1円75銭(現在価値約1万4千円。ただし、食費、住居費、医療費等は工場持ちなのでほぼ全額が小遣い。また夏冬の服料(今のボ-ナス)として5円の支給があった。2等、3等も同じ。)二等工女は1円50銭(約1万2千円)、3等工女は1円(約8千円)。この指名が彼女たちひとりひとりを呼び出して伝えられる。なかなか呼び出しがかからないものは、泣き出したり、えこひいきだと言い出したり、美人が選ばれているなどと騒ぎ出すことになるのである。結局、幸いにも一緒に入場した一行14名のうち病気帰国の1名を除く13名が一等工女となり、大笑いになったそうだ。
その8 おばけ
当時は電灯がない。部屋からトイレまで距離もあり、行灯があるがとても暗い。塀の上に生首があった、トイレの中でけものが首を出した、空き部屋に青い火が点っていた、などといううわさが起こるのであった。今でも学校などで発生しがちな集団狂気現象が全寮生活を送る彼女たちにもあったのだ。
その9 素人芝居
製糸工場内食堂のまかないの人たちが素人芝居を披露することがあったが、それは事件だった。工場側の事前の了解を取り付けることなく、まかないの人たちが勝手に工場内に舞台を設定し、工女たちを観客に、男女の逃避行の歌舞伎芝居を実施したのだ。その舞台に管理者側の人間が登場する。この人たちまでも芝居に出演するのかと思っていたら、管理者側の人たちは役者を殴り飛ばして、ののしって出ていったという。この件でその後いろいろ面倒があったようだが、工女たちは芝居がなくなって大失望だったそうだ。
その10 美人揃い
お花見があった。場所は「一ノ宮貫前神社」。工女たちは若いばかりでなく、日頃は屋内作業で日焼けはなく色白で、しかも蒸気充満の作業場はお肌にもよかったはず。さらに毎日入湯だし、身だしなみもしっかりしている。「髪の艶、顔の色、実に美しい事で」、一般の市中の婦人たちとは比べものにならなかった。「別嬪さんが沢山おられました」そうだ。彼女たちの集団お花見はさぞや壮観であったろう。
その11 借金
現金を使ったことなどない娘たちが突然、全額を小遣いにできる月給をもらうようになって、贅沢な金遣いを覚えてしまう。呉服、帯、小間物などが彼女たちの欲望を刺激した。松代に製糸工場ができて、いよいよ彼女たちが帰国することになったとき、5円、6円(現在価値4~5万円)という借金のある者が続出、中には10円(約8万円)の借金を負った者もいたという。国元から彼女たちを迎えに来た者が何とかそれを立て替えた。富岡製糸場長尾高惇忠から「帰りは東京見物でもさせてあげるように」とのことばがあったが、このため東京見物は高崎見物になってしまった。これにとどまらず帰国の旅は旅費不足で、迎えに来た者はずいぶん苦労する羽目になったようだ。
その12 凱旋
いよいよお国入り。各人、富岡で覚えたおしろいで厚化粧、メンバーの格差があらわれないように服装を統一、人力車17台を連ねて帰国したのであった。地元はびっくり、村々を通るたびに人手が出て両側に人垣を築いたという。若き富岡工女のプライドはいや増しに高まったことであったろう。