2013年12月29日



 前回に引き続き「富岡日記」の中のおもしろエピソードである。



 その3 長州出身者優遇への反発



 繭の選別(選繭作業)に従事させられた彼女たちであったが、覚えたい技術の中心は機械で繭から糸を引き出す作業(繰糸作業)であった。監督者に繰糸を早くやりたいと催促し、目途を尋ねると、近々長州から40名ほどの新規入場者が来る、その時には選繭作業は彼女たちにやらせる、あなたたちを繰糸作業のほうに回すことができる、と言われる。

 その言葉を頼りに選繭作業に精を出していると、長州からの入場があり、いよいよと待っていたが音沙汰がない。何と新参の長州出身者は選繭作業に従事することがなく、繰糸作業の指導を受けていたのである。

 彼女たちはこれはえこひいきだと泣いて抗議し、激しく監督者に迫る。フランス人教師が間違えたのだと監督者は苦しい弁明をする。実際は薩長藩閥政治の力が背景にあったのだと考えられている。



 その4 宮廷官女の厚化粧



 明治6年6月富岡製糸場に皇太后(明治天皇の母親)、皇后の行啓があった。その前日に女官の下検分があった。やんごとなき世界をはじめて見る工女の彼女たちは興味津々で、実に細かく観察をする。そして、女官がおしろいを塗りまくった真っ白の厚化粧であることにみんなで笑ってしまうのである。

 このことに対して厳しい叱責がなされ、行啓当日に笑いが出たらただではすまないと彼女たちは警告を受けることとなる。



 その5 パワハラ、セクハラ



 皇太后、皇后の行啓終了後、お酒の下賜があり、祝宴が開催される。その祝宴の中で信州出身者に盆踊りのリクエストが製糸場幹部から出される。断りつつも結局踊りを披露する羽目になってしまう。これがこれで終わりとはならず、このことをきっかけに、製糸場に遠方から来客の場合、接遇のために盆踊りの披露を幹部が要求するようになる。彼女たちも抵抗しきれない。「こんな馬鹿馬鹿しいことはありません」と日記に書かれている。

 昔から男性幹部の女性従業員に対する所行は変わらぬものだ。このような業務外命令はいまならセクハラ、パワハラだとして問題になるのは必至だろう。


 さらなるおもしろエピソードは次回に。