2013年11月17日

 資本主義はその外的拡大の最終局面を迎えている。この場合「外的拡大」とは平面的拡大だけを意味するものではない。同一社会内の非資本主義的経済活動を資本主義化すること、あるいは非資本主義的経済活動を終息せしめることが含まれている。最終局面において外的拡大ターゲットとなっているのは「国家」である。現在、資本主義と「国家」は理念的対立状態に至っていることを隠しながら、現実には激しいバトルを展開している。そういう局面に我々は置かれている。
 まず最終局面に至るまでの経緯を概観しておこう。

 資本主義は18世紀イギリスに始まる。その当初の推進力は羊毛工業であった。イギリス羊毛工業における技術的発展・世界的優位、原料羊毛への需要拡大、羊毛生産のための農業再編成というルートを通じてイギリス農村共同体が資本主義によって解体され、資本主義社会の内部に取り込まれた。
 これまでも何度か触れてきたが、このスタート時点に象徴されるように資本主義は非資本主義社会(=共同体社会)を解体し、それを資本主義社会に取り込むことによって発展するという本質的性格を持つ。
 資本主義はまずはヨーロッパにおいて展開し、ヨーロッパ各国の旧来型の工業を資本主義化するとともにヨーロッパ農村共同体をその支配下に置いた。「支配下に置く」というのは、そこにおいて展開されてきた経済活動を、同じ資本主義マーケット内の経済活動に転換、再編成させるということである。
 ヨーロッパ内の非資本主義社会を一定程度(完全にではない)支配下に置くことに成功した資本主義が次に向かったのは、ヨーロッパ文化圏の外で伝統的共同体社会を継続していたアジア、アフリカ等の地域であった。すなわちそれら地域の植民地化であり、帝国主義と呼ばれる活動である。その結果、地理的、平面的には世界全体が一応(完全にではない)資本主義化することになった。
 平面的拡大を一応達成した資本主義がその発展を継続するために次のターゲットとしたのは、家族共同体であった。資本主義マーケットに取り込まれていない家庭内の経済活動、すなわち主婦労働という非資本主義労働によって営まれていた家事労働であった。家庭電化、購入食料の増大、家事労働サービスの外部化などがそれである。そして、周知のように、この動きは子どもの遊び、子どもの教育の世界の席巻にも成功した。

 さて、「国家」は資本主義発展の推進の役割を長い間担ってきたが、一方で一貫して「共同体」としての性格を維持し、放棄することはなかった。その性格は資本主義がその必然とする不均等発展(階級間、地域間、産業間等)を是正するという形で政策化されてきた。その政策の発動にあたっては、資本主義マーケット維持のための治安確保という内実を持ちつつ、「共同体」たるがゆえの相互扶助という説明がなされてきたのである。
 そして、資本主義マーケット維持のための治安確保という必要性の相対的低下のもとで、いまや資本主義は果敢に「国家共同体」にチャレンジしようとしているのである。このことの象徴が効率性重視の立場に立った東北復興の不要論、福島お荷物論である。

 この局面に日本の政治は判断を下していない。与党自民党内でもマーケット重視派(資本主義派)と共同体派が相互無自覚のまま対立している。安倍首相自身においても二つの対立が内部で整理されているようには思えない。理念レベルでの検討を放棄し、選挙への影響という物差しでのみ対応されようとしているのだ。
 そうであるかぎり、そして国民が従来どおり経済的繁栄を選好するという態度を維持するかぎり、所要時間の長短はあるにしろ、この対立の帰趨は明らかであると考えられる。