2013年10月26日
政府の「産業競争力会議」での議論があり、農水省も検討に入るということで「減反」廃止論がこのところ再び話題になってきている。
しかしながら、この問題に関する報道振りは、意図的か理解不十分かはわからないが、問題の本質をとらえているとは到底思えない。
いったい、「減反」をめぐって何と何が対立しているのであろうか?
答えは「産業政策」と「地域政策」との対立である。
一般的には「産業政策」と「地域政策」は対立するよりは調和的である場合のほうが多いと思われ、その場合はハッピーである。
しかしながら、コメ政策に関しては「産業政策」と「地域政策」は調和的ではなく、トレード・オフの関係にあるのだ。
まず、ここで言う「産業政策」「地域政策」を定義しよう。
「産業政策」とは、技術的に可能な最高水準の生産性を継続的に実現し、当該産業の競争力、とりわけ国際競争力を高めていく政策である。
「地域政策」とは、地域間格差を是正して社会全体の統合性を高めるため、当該地域における所得機会を維持創出して生活可能性を確保していく政策である。
産業政策の観点から稲作を目指す方向に持っていくことは可能である。当然その政策手段の基本はマーケットメカニズムを利用した競争政策ということになる。
しかし、その場合に成立する稲作とは、我が国にとっては決して一般的ではない大規模耕作が可能な特定地域の稲作と特別な消費需要をつかまえた特別な栽培方法(有機栽培、天日乾燥等)を採用した稲作となる。
その稲作は確かに一定の競争力を確保した一産業である。しかし、その場合の稲作は例外的に存在するだけで、日本列島のなかで「点」でしかない。その経営は経営として十分評価に値するものであるが、生産額レベル、雇用効果レベルといった国民経済レベルで見た場合には、ほとんど大きな意味を持たない。
すなわち、地域政策としての意義は皆無に等しいのである。
「減反」は、公的生産量調整カルテルであり、非効率経営の存続を許すもので、産業政策的観点からすれば評価できないものであることはかねてより明らかであった。
しかし、そのデメリットを覚悟しつつ、地域間格差の是正、生活空間としての「面」の確保は政治的至上命題だったのであり、それが優先された結果採用されたのである。
この政治的至上命題の旗を下ろすことが今の日本で可能なのであろうか?
地域間格差是正が課題として放棄されるとは考えられず、その地域政策として実質を伴った2本柱はコメ政策と地方公共事業であった。
産業政策の名のもとに地域政策たる「減反」を廃止できるであろうか?「点」栄えて「面」亡ぶという道を我が国は採れるであろうか?
なお、「減反」を含む農業保護政策全般について、地方の実情を見れば地域政策としての効果発揮にすでに失敗していることは明らかで、遠からず農業は滅びることは必至である、地域政策としての意義はないとの反論がある。
しかし、そのような事態となっている原因は、稲作の取扱いにおいて「産業政策」なのか「地域政策」なのかについて国の政策の腰が定まらず、国の政策への信頼が農家農民に形成されなかった結果という面が強い。いつ切り捨てられるかもわからない産業に後継者は育たなかったのである。「産業政策」派と「地域政策」派は議論を詰めずに表面的妥協を繰り返し、国の一貫した姿勢は見えなかったのである。その結果が今日の事態を迎えたのだ。
「減反」をめぐって国民が迫られているのは、地域間格差の是正という課題を引き続き重要課題と位置づけ、そのための負担を覚悟するかどうかということである。
既得権益とチャレンジャーの戦いといった図式で問題を知ったかぶりで説明しようとする向きもあるが、国民に真の課題を突き付けず、世の中の判断を誤らせるものであり、その罪は極めて大きい!