2013年8月7日
偶然、英訳般若心経に遭遇した。リービ英雄氏によるものでパソコン検索で読むことができた。
般若心経の理解のポイントは「色即是空 空即是色」の「色」とは何か、「空」とは何かである。
「色」はリービ訳では「form」とされていた。「形」「形相」という意味での「form」だと思われる。
しかし、「form」には対立概念としての「substance」がある。「実質」「実態」である。
このため、「色(form)」は「空」だが、「色」とは別に、「空」ではない「実質」というものが別にあるというような解釈を呼びかねない。
事実、般若心経の解釈には、現実社会は「空」であり、「心の世界」こそ本来の世界である、その本来の世界を感じられるように修行しましょう、みたいな誤った解釈がある。リービ訳はそのような誤った解釈を助長しかねない。
「色」は人間が感知する世界のすべてのことであり、したがって「色」とは別の「空」でないものがある余地はまったくない。
したがって、「色」は「phenomenon」または「objects of six senses」と英訳されるのがいいのではないかと思う。
「phenomenon」は「現象」であって、「もの」「こと」すべてという意味で使うのである。また「objects of six senses」は人間の五感に第六感を加えた6つの感覚の対象であって、人間というアンテナが感知するすべてという意味で使うのである。
「空」はリービ訳では「emptiness」とされていた。これは「空」の直訳であろう。しかし、「emptiness」として「何もない」という解釈では「空」の理解は進まない。
「色即是空」とは、「色」が「何もない」のではなく、「色」の世界のそれぞれの「phenomenon」または「objects of six senses」は実質がない、それぞれは関係的に発生・存在しているにすぎないというのである。Aがあるから非Aがある、Bを立てるから非Bが立つ、しかし、そもそもAも、非Aも、Bも、非Bも、元々はない、というのである。
だから、確かに「emptiness」で正しいのだが、はじめから「emptiness」といわれても理解がむずかしいのである。
したがって、「空」は「non-substance」と訳されるのがいいと思う。「non-substance」は「実質なきもの・こと」という意味で使うのである。
般若心経を倫理道徳的に解釈するのは誤りである。般若心経を理解すると、結果的に倫理道徳的になるのである。