2013年6月21日
特定の情報しか感知できない存在である人間をラジオのアンテナにたとえて人間=アンテナ論というのを掲げたことがあります。
この度、そんな思いつきをはるかに超えた、人類に大きな知的恵みをもたらすであろう、素晴らしいたとえにめぐり合うことができました。
竹田青嗣著「現象学入門」(NHKブックス)に提供された人間=月面探査船論です(P195~197)。
筆者の報告としてはまったくオリジナリティのないものながら、みなさんにお知らせして、みなさんの人間認識、社会認識の基礎として採用していただきたい、われわれみんなの共通認識としたい、という思いで紹介させていただきます。
人間はアンテナや音波探知機(ソナー)などの計器を装備した、そして決して外に出ることができない、窓のない月面探査船にたとえることができるというのです。
人間が外側の世界(客観の世界)を五感を通じて間接的に感じるほかはない存在であることがこのたとえによって表わされています。
このたとえによって次のようなことが示されます。
① 月面探査船(=人間)によって感じ取られる外側の世界(=世界像)は、装備されている計器によって規定されている。すなわち、装備されている計器(及びその感度)のちがいによって世界像は異なってくる。別の言い方をすれば、絶対的世界像というものは存在しない。
② 装備される計器は月面探査船の「関心」に応じてセットされたものである。「関心」の変化に応じてセットを変更することができる。(実際の月面探査船はそれを派遣する時の研究者の「関心」に固定されており、それに応じた計器が途中変更不能の状態でセットされている。)
③ 月面探査船は1台、1台が独立している。すなわち、人間はひとりひとりに計器が装備されており、そのセット(特に計器の感度)が同じである保証はない。すなわち①のようにひとりひとりの持つ世界像は異なっているかもしれない。
④ しかしながら、実際には多数の月面探査船(=人々)が持つ世界像はほとんど共通している。
⑤ 客観的実在としての世界があるとの思い込みを生じさせているのは、世界像がほとんど共通しているという事実の結果にほかならない。
このたとえの立場を採用することによって次のようなことが期待されます。
・ 人間にあらかじめ与えられ、それに縛られざるをえない客観的実在としての世界というようなものはないことが明らかになる。世界はかくかくしかじかだから、人間はかくあるべしというような主張同士の論争から人類は解放される。
・ 世界像のちがいによる主張のちがいの原因を探る議論(それはおそらく「関心」の内容についての議論となるであろう)が人類の間で可能となる。その結果、共通の理解に達することの可能性も開けてくる。
・ 「関心」を発展させたり、洗練させることによって人間は新たな世界像を獲得することが可能であることが理解される。
・ 人間は「自由」であること、世界像を変えうる自由をもつ存在であることがあらためて確認される。
この考え方によって、道遠しといえども、人類の未来に明るい展望がもたらされると思います。現象学の発展、現象学の成果が楽しみです。