2013年6月3日
江戸時代の文化人・菅茶山(1748~1827)は広島・福山藩神辺に住み、自宅を「黄葉夕陽村舎」と名づけていた。
茶山の弟子にあたる蠣崎波響(1764~1826)は北海道・松前藩の藩主の弟で、家老を務め、松前藩の国替え・復領に重要な役割を果たした政治家だが、絵画、漢詩等文化面での活躍も顕著な人で、自宅を「梅痩柳眠村舎」と名づけていた。
菅茶山の「黄葉夕陽村舎」という命名は何に因むものかはわからないが、「黄葉」「夕陽」いずれも盛りを過ぎた後のものであり、自身の成熟と脱世間を象徴するものと思われる。
蠣崎波響の「梅痩柳眠村舎」は、「柳緑花紅」と関係があるような気がする。日本では「花」は「桜」だが、中国では「花」は「梅」だ。「柳緑花紅」の「花」は「梅」と解釈すべきだろう。藩の危機に巻き込まれてそれまでの華やかな文化的生活を続けることを阻まれた波響は、茶山同様、盛りを過ぎた否定的感覚を自宅の名称に象徴させたというのが筆者の仮説である。
この命名をまねしてみようと思った。
「兎走烏飛(とそううひ)」という言葉がある。
「兎(うさぎ)」は「月の精」である。「烏(からす)」は「太陽の精」である。(話は外れるが神武天皇東征神話における「烏」の登場はこれに基づくと思われる。「金鵄勲章」の「鵄」である。)
このことから「年月」「時間」のことを「兎烏(とう)」あるいは「烏兎(うと)」という。
それが「走り」、「飛ぶ」のであるから、「兎走烏飛」とは時の経つのが速いこと、年月の過ぎるのが速いことをいう。
このことばをいただいて「兎息烏眠(とそくうみん)」という言葉を造語して、我が住居を「兎息烏眠村舎」と名づけることにした。
兎が息み(やすみ)、烏が眠る家である。すなわち、自分のまわりの時間を止めてやろうというのである。