2013年4月9日
刑法において賭博が禁じられているにもかかわらず競馬が可能なのは言うまでもなく刑法の特例法たる競馬法があるからである。
競輪に自転車競技法、 競艇にモーターボート競走法、オートレースに小型自動車競走法、宝くじには当せん金付証票法があるのと同様である。
そのことは当たり前のことでさしておもしろいことではない。
とはいうものの、法律上の根拠なく、すなわち競馬法なく、堂々と馬券を発売して競馬が行なわれていた時代があり、それを馬券黙許時代という。
本格的な近代競馬場が建設され、皇族の来臨もあったくらいであるが、弊害が余りにも著しいということで、あっという間に取り潰されてしまった。
明治39年から41年のことである。
さて、筆者がおもしろいと思うのは次の3点である。
まず、競馬法には目的規定がないということである。
六法全書を適当にめくっていただけば、ほとんどの法律第1条に目的規定が置かれていることがわかるだろう。
競馬法にはその目的規定がないのである。
そのことをどう理解すべきか。ここは筆者の私見となる。
「競馬を好きな奴がいる。この競馬好きをどうにも止められない。無理に止めても、ろくなことにはならない。地下にもぐってコオロギでもゴキブリでも走らせるだろう。競馬を認めないのは、あたらやくざのもうけ仕事を作ってやるだけのようなものだ。」
このような国家意思が目的規定なき競馬法という形に結実したのではないだろうか。
関連して述べておくと、自転車競走法(競輪)も目的規定がない。モーターボート競走法(競艇)、小型自動車競走法(オートレース)には「法律の趣旨」として目的らしいことが書いてある。当せん金付証票法(宝くじ)には目的規定がある。
官主導の金集めには目的規定があり、どうしようもないギャンブル好きが推進したものには目的規定がないという分析は筆者のロマンティック精神の過多であろうか。
また、競馬に関しては「日本中央競馬会法」という法律がある。そして、この「日本中央競馬会法」には「趣旨」として次のような目的規定がある。
「この法律は、競馬の健全な発展を図つて馬の改良増殖その他畜産の振興に寄与するため、競馬法(昭和23年法律第158号)により競馬を行う団体として設立される日本中央競馬会の組織及び運営について定めるものとする。」
この規定があるため、競馬の目的は「馬の改良増殖その他畜産の振興」であるとする誤解が生まれている。
しかしこの条文は、「競馬が健全に発展すれば馬の改良増殖その他畜産に役に立つことになる。そのような役割を果たし得る競馬を健全に発展させるために中央競馬会を設立する。」と言っているのであって、「競馬が健全に発展すれば馬の改良増殖その他畜産に役に立つことになる。」というのは客観的認識を述べたものである。目的を述べたものではない。
目的であるかのように読めなくもないが、もし目的として書くのであれば、法律家はこのような文章は書かないはずである。
おもしろいと思うあとの2点は次稿に譲る。