2013年4月2日


 小学校・中学校の同期に明治の民権運動家・末広鉄腸(重恭)(1849~1896)の末裔という男がいます。
 古本市を覗いていたら、この末広鉄腸の著書「雪中梅」があり、同期生の縁で手にとってみました。
 珍本・奇本の類と思われ、極めて安価でもあり、躊躇なく購入しました。(下:表紙写真)


青二才赤面録

 「明治19年7月27日版権免許、同年8月17日改題御届、同年8月27日出版、定価60銭」、これはすごい掘り出し物、と思ったら、昭和49年(財)近代文学館の「特選名著復刻全集」でした。
 しかしそれは、わずかの残念でしかなく、この本(政治小説であって、文学作品としての価値には疑問があるものの)、実にいろいろな意味で楽しいのです。

 まず、この本は明治173年に明治の国会開設時を振り返るということになっています!2040年です。驚くべき設定です。
 「日本帝国大繁盛之図」(下)、これが当時想像された2040年の日本です。


青二才赤面録

 「東京は一面に煉瓦の高楼となり、電信は蜘蛛の巣を張るが如く、汽車は八方に往来し、路上の電気燈は宛(さなが)ら白昼に異ならず。東京港には万国の商船を繋いで、商売の盛大なる龍動(ロンドン)や巴里(パリ―)も三舎を避け(注:恐れて尻込みする)、陸に数十万の強兵あり、海に数百の堅艦を泛(うか)べ、世界中日章国旗の飜(ひるがえ)らぬ場所もなく、教育全国に普及して、文学の盛んなる万国其の肩に比ぶるものなく……」とあります。


 序文があります。ここにはなぜ小説などというものを書くのか、ということが書いてあります。
 世の中、思うようにはいかないから、優れた人間は山林を放浪し、酒を飲み、世間を離れるといった行動をとるものだが、それは消極的快楽だ。小説世界を創り出すという積極的快楽もある。しかも、小説はむずかしい文章でなく、人々を喜ばし、かつ人々を善導することができる、などと書いてあります。
 

 小説の舞台となる箱根の旅館は「福住楼」というのですが、その挿絵に感じるところがあり、調べてみると実在、現存する旅館(「ふくずみろう」と読む。)でした。「梅屋」というのも登場しますが、これも実在、現存していました。小説が商売の広告の役割を果たすということは現代にもありますが、「雪中梅」はその嚆矢と呼ぶべき存在なのかもしれません。 (その2に続く)