2013年2月16日
ナショナリズムというものを4つに分けてみたい。
ナショナリズムをどう定義するかというむずかしい問題があるが、「国家・国民の、自己保存を図ろうとする政治思想、政治運動」ということにしておきたい。
まず、ナショナリズムを大きく2つに分ける。
1つは、パワーポリティックスの世界の中で政治的・経済的権益を確保しようとするナショナリズムである。以下、「パワポリ・ナショナリズム」と呼ぶことにする。
もう1つは、世界人類に貢献(コントリビューション)することにより世界の中での国家・国民の存在理由を保持しようとするナショナリズムである。以下、「コントリ・ナショナリズム」と呼ぶことにする。そして「パワポリ」と「コントリ」を明確に分けるため、「コントリ」は世界の中での存在理由保持を優先するため損失(経済的、人的)を厭わないナショナリズムと条件を付すことにする。言い換えれば、「パワポリ」は利害優先、「コントリ」は名分優先ということになる。
「パワポリ・ナショナリズム」を2つに分ける。
1つは、政治的・経済的権益の現状維持、即ち既得権益の保全を目的とするナショナリズムである。北方四島、竹島、尖閣の領土保全、在外邦人の保護といった現在大きく話題になっている問題への対応を叫ぶナショナリズムは、そこにとどまるならば、このパワポリ・ナショナリズムのうちの既得権益保全型に属する。
もう1つは、言うまでもなく、現状維持にとどまることなく、積極的に権益の拡大を図るというナショナリズムである。わかりやすい例は帝国主義ということになるが、権益拡大の手段は多様であって権益拡大志向がすべて帝国主義的ということになるわけではない。中立的名称付与としてパワポリ・ナショナリズムのうちの権益拡大型ということにしておこう。
「コントリ・ナショナリズム」も2つに分ける。
1つは、軍事的貢献をしようとするものである。世界の「ならず者国家」を懲らしめるために積極的に軍事活動するという必殺仕事人のようなナショナリズムである。
コントリ・ナショナリズムのうちのハード型である。
集団的自衛権が話題になっているが、集団的自衛権は自衛に助力してくれる同盟国への攻撃に対処するというもので、あくまでも目的は自衛であり、「コントリ」には属さない。
もう一つは、非軍事的面で貢献しようとするもので、さらに技術協力的貢献と文化的貢献の2つに分けられる。コントリ・ナショナリズムのうちのソフト型である。
整理すると、①パワポリ・ナショナリズム・既得権益保全型、②パワポリ・ナショナリズム・権益拡大型、③コントリ・ナショナリズム・ハード型、④コントリ・ナショナリズム・ソフト型、このソフト型には技術協力という経済面ソフトと文化面ソフトの2つがある、ということになる。
以上のようにナショナリズムを整理したことによっていくつかの感想が生じてくる。
1 損失は厭わずという条件をつけたコントリ・ナショナリズムは、個人、民間レベルではありうるものの、国家活動としては(国民が損失を許容しないため)現実には存在しないということ。
2 パワポリ・ナショナリズムは「権益」という基準が前提になっている。今日、国家は国民に経済的便益を提供・保証することを任務とする国民国家であり、国民は「アメリカ的生活様式」という物差しでの経済的便益を求めていることから、「権益」とはすなわち「アメリカ的生活様式」の提供力であるということ。
3 ナショナリズムには「奮い立たせるもの」「大義」が必要である。この点からすると「コントリ・ナショナリズム」はこれを提供しうるが、「パワポリ・ナショナリズム」は所詮エゴイズムであることを免れないので、これが不十分であること。不十分性の補完として「対外恐怖」「対外憎悪」があること。
4 ナショナリズムが成立する基礎には他国にはないという「独自性」も重要な要素のはずだが、それはコントリ・ナショナリズム・文化面ソフト型にのみ認められること。そして我が国の文化面ソフトの独自性は、ちょうど「アメリカ的生活様式」の希求の強まりと反比例して、深刻に衰微しつつあること。
5 我が国のコントリ・ナショナリズム・文化面ソフト型の内容をなす伝統思想・文化は、国民がそれを知りえないということによって消滅必至であること。そのことによる知的財産の喪失は、領土問題の深刻性をはるかに超えており、日本にとっての損失であるばかりでなく世界人類の損失であること。
6 我が国の伝統思想・文化をインターナショナルなものにしようとした戦前の京都学派の蹉跌とは、うぶなコントリ・ナショナリズム・文化面ソフト型がしたたかなパワポリ・権益拡大型に取り込まれた悲劇だったということ。