2013年1月30日
アルジェリアでの日揮及び関係会社の人々は殺害されたのであり、正確な意味で労働災害とカウントされることになるのかは知らない。
しかし、まさに企業活動の中での死であり、一般的な意味においての労働災害であることは否定しがたいところである。
厚労省統計によれば、平成23年の労働災害による死者数は2338人、うち東日本大震災関係が1314人、その他が1024人、震災関係がない平成22年は1195人、平成21年は1075人である。
こちらは厳密な意味での労働災害による死であり、精神疾患も含めた疾病死もカウントすれば、死亡者数はもっと大きいであろう。
いずれにしろ、アルジェリアでの死も国内での死も企業戦士の死であり、ある意味での戦死である。
それならば、なぜ靖国神社における戦死者合祀の如く企業戦士の死は平等に扱われないのであろうか。
海外、テロ、資源、過酷環境、同時死亡数といったことがニュース性という意味で大きく違うことは理解できる。
しかし、政府もマスコミも明らかに今回の死者については英雄的取扱いをしている。
そのことが批判されるのではなく、毎年1千人規模の労働災害死が英雄的取扱いをされるどころか、事実上無視をされていることが問題なのだ。
自民党は事件を重大視して、実効性という意味では大いに疑問がある自衛隊法改正を検討するという。
国内の労働災害については制度改正によって防止しうる余地が様々にあると考えられる。しかし、多くが経済性等を理由として放置されているのが実態だ。
企業戦士の死が純粋に悼まれているのではないところがある。
アルジェリアの事件は人々のナショナリズムを刺激するものであるがゆえにショーアップされているのだと思う。