2013年1月22日
中国・明代に董蘿石という人がいた。
この人は67歳まで、貧乏をものともせず詩作に没頭する人生を歩んでいたが、王陽明(陽明学を始めた儒学者)に会って回心し、詩を棄てて「道」を探求する生活を送るようになった。
そして、最晩年に至って(77歳で死去)、儒学からさらに仏教の世界に向かい、宗教活動をするようになった。(入谷義高著「求道と悦楽」のうち「董蘿石」から)
驚くべきは、彼の高齢になってからの大きな思想転回である。
飽くことなき追求の姿勢が高齢に至っても維持されていたこと、言い換えれば、高齢の居直りがいささかなりとも存在しなかったこと、それが彼に思想転回のチャンスをもたらしたのであろう。
自らを省みれば、当方にはまとまった思想などというものはないものの、これまで、いくつかの重大な情報を得て、人生に大きなインパクトを与えられた。
その重大情報とは、
① 我々の経済システム、家族システムをはじめとする社会システム、それらを支える倫理・道徳といったものは特殊歴史的なものであること。
人類普遍の究極的社会システム、倫理・道徳といったものが存在するのではないこと。
② それを「感性」、「霊性」、「直観」等何と名づけるかは別として、人間の能力には「理性」とは別の、人間を高次元に導く何らかの能力があるらしいこと。
「理性」では次元を超えるには限界があること。
③ 我々の宇宙は永遠ではないこと。すなわち、宇宙必滅、したがって人類必滅であること。
④ 1つの生命体と考えられているもの(人間も当然に含まれる。)が実は複数の生命体の共生体であること。
これらの重大情報とは、それぞれバラバラの時期に偶然に遭遇したのだった。
偶然の世界ならば、同レベルの重大情報が今後もまたやって来る可能性はかなり高いと考えておいていいだろう。
董蘿石の例の如く、高齢に至っても、この先、何が待っているかわからない。楽しみだ。