2012年12月29日


 医療の世界では「インフォームド・コンセント」ということが常識となっています
 すなわち、医師は患者側に対して診断の結果と治療の方針を説明し、同
意を得たうえで治療を実施していくというものです。
 診断の結果を説明せず、強引に治療を進めていくということは許されません。
 これに対して、経済政策の世界では、病名さえ特定できないまま、治療を強行しようという、まったく信じられないことが行われようとしています。
 デフレ不況というのは、原因を特定した上での病名ではありません。
 頭痛、高熱、低血圧といった個々の症状を総括的に述べているだけで、これらの症状がなぜ発生しているのかについては言及されていません。
 その結果、当然のことですが、対症療法しか講じることができません。
 すなわち、痛みには鎮痛剤、高熱には解熱剤、低血圧には血圧を上げる薬を処方するだけです。
 そして、これらの対処療法の限度を超えた実施は、真の病因によっては極めて危険なものであることはいうまでもありません。
 一時的な症状の緩和をいいことに、その危険を患者に知らせずに治療を継続していくことは「インフォームド・コンセント」の精神に反するものです。
 医療の世界ではあれだけうるさい、心配症の患者側は、なぜ経済政策の世界ではかくも呑気な、いいなりの患者になってしまうのでしょうか?

 司法の世界では、犯人決め打ちの後付け捜査が深く反省されています。
 東電OL殺人事件、脅迫メール送信事件など、すんでのところの無実の人間が取り返しのつかないことになるところでした。
 さて、デフレ不況に対する経済政策の世界では、需要減を真犯人として財政、金融、成長の3政策を3本の矢とするアベノミックス、金融資本の暗躍を真犯人とする金融資本規制策、格差拡大による需要減を真犯人とする所得再分配強化策等々、様々な論者が様々な政策提言を行っています。
 そして、問題なのは、政策提言まずありきで、その後に政策提言の正当性をいうための後付けの理屈付けがなされていることです。
 提言される政策による特定の利益があればこそ、その政策が提言されているのではないか、という疑いを拭い去ることができません。
 需要減をもたらせた原因にまで迫らなければ採られるべき政策には至らないはずなのに、自信満々で走り始めたアベノミックスなどはその好例です。
 それに対して適切なブレーキをかけられない経済学、切磋琢磨のかみ合う議論ができない経済学、歴史観、社会観、人間観の不十分性から「風が吹けば桶屋がもうかる」という理屈付けのレベルを超えない経済学、この経済学の体たらくが犯人決め打ち後付け捜査(政策)の跳梁跋扈を許している原因です。