2012年12月11日青二才赤面録

過日、上野散策の折、不忍池弁天堂の石碑の立ち並ぶ中に、「い〇塚」を見つけた。

 〇部分は変体仮名であることを確信するものの、読めない。

 帰宅して参考書を開き、「登」をくずした「と」の字であることが判明した。

 すなわち「いと塚」である。

 裁縫を学ぶ学校の人たちか、それを仕事とする人たちの建てたものと考えていた。

 昨日、何事も調べはパソコンと、「いと塚」で検索したところ、その「いと」は三味線、琴の「糸」であることがわかった。

 すなわち、「いと塚」は、裁縫という実業の世界ではなく、芸ごとの世界の人たちの思いにより建てられたもののようなのだ。

 場所柄から納得できるものである。

 某所で遊興の折、三味線を抱えるおねえさんから、「あらまあ、いと塚をよく御存じで……」とほめられるなどということは、もはや叶わぬことである。

 あてなき散策、変体仮名への関心、パソコン検索習慣、そんなものが結実して、粋な世界へ思いを馳せることができた。

それをもって、よしとする。