2012年11月21日
安倍晋三自民党総裁の建設国債日銀直接引き受けという選挙公約(?)が議論になっています。
野田首相は「日銀に引き受けさせるのは禁じ手」 と批判し、白川日銀総裁も我慢ならないという雰囲気を漂わせて「中央銀行がやってはならない最上位の項目」と批判しています。
一方、エール大教授で金融論の権威と目されている浜田宏一ほか安倍晋三の味方の勢力の存在もあります。
権威ある金融専門家の甲論乙駁では、どちらの主張が正しいか、国民が判断できるわけがありません。
しかし、ここで明確に述べておきますが、安倍総裁のほうが間違っています。そして、そのような政策が採られたならば、取り返しのつかない日本経済の崩壊に至ります。
その理由を以下で説明しましょう。
間違っているのは「インフレ・ターゲット論」といわれるものです。正確にいえば、「インフレ・ターゲット論」それ自体ではなく、「インフレ・ターゲット」の絶対視です。
経済成長に穏やかな物価上昇が伴うのは通常のことであり、経済成長を目標とする上で、経済指標(ターゲット)として物価上昇率(インフレ率)を採用することは一つの考え方であり、直ちに否定すべきものということはできません。
しかし、そのターゲットを絶対視して、ターゲットの独り歩きを許し、ターゲット達成のためには何でもやるということになると話は全く違ってきます。
インフレ・ターゲットとして具体的には2%というような数字が上がっています。しかし、国債の日銀引き受けというような政策手段は、物価上昇率を2%程度にし、その状態を維持するというような微妙な経済コントロールをすることが不可能です。
仮に2%という物価上昇率が達成されたとします。そのときにはすでに2%を達成するためにジャブジャブの資金が市中に出回っており、勢いのついたインフレ期待資金の跳梁跋扈を抑制し、物価上昇率を2%にとどめることは不可能であり、そのままどんどん物価は上昇していくことになります。乾いた薪の山の一部だけを燃やす一方、延焼は避けるというたぐいの試み、制御棒なき連続的核分裂、すなわちメルト・ダウンの事態です。
さらに、日銀引き受けの建設国債発行で日本全国に展開されることとなった公共事業にブレーキをかけるため、建設国債発行を急に縮小することは、政治的にほとんど不可能です。政治家とはそもそも地元に公共事業を引っぱってくることをその使命とする人たちだからです。安倍総裁の建設国債日銀引き受けという方式は、これまでの公共事業抑制でなりを潜めていることを余儀なくされていた政治家たちを再び活発化させずにはおかないでしょう。
もっといえば、政治とは大義名分にファイナンス(資金供給)する仕事とともいえるのであって、デフレ脱却、防災、震災復興という大義名分からの建設国債への着目は、それが成功すれば次の大義名分のための国債発行という薬物依存に政治家を導くことは必至と考えておかなければなりません。それは限りなき財政規律の弛緩というべきものです。
安倍総裁提案により、ここのところ株価上昇、円安傾向が見られるため、これを歓迎する向きも多いのですが、目先のことに捕われるといよいよ真の「日本沈没」が待っていると強く警告しないではいられません。
また、「経済学」が「政治経済学」であることを忘れて国債の日銀引き受けというようなアイデアを言いまくるおっちょこちょいは常に発生するものですが、その危険を見抜けず、安易におんぼろ舟に乗ってしまうような人間は一国のリーダーたる資質に欠ける軽輩といわねばなりません。