2012年9月22日

 日本維新の会代表・橋下徹大阪市長の外交防衛政策について、何となく、いわゆる「タカ派」という印象を僕はもっていました。

 「新しい教科書をつくる会」(実は分裂しているらしいのですが、詳細は不知)を通じての維新の会幹事長・松井大阪府知事と疑いなき「タカ派」・安倍元首相との親密な関係がこの印象の背景の一つともなっていました。

 橋下市長の慰安婦問題に関する河野洋平官房長官談話に対する厳しい批判も、その印象を裏づけるものでした。

 しかしながら、小さな記事ではありましたが、朝日新聞に掲載された橋下市長の尖閣・竹島に関する発言は、その印象が必ずしも正しくはないことを感じさせるものなのでした。

 一見不整合な橋下市長の姿勢はどうして生じたのか。

 彼の本職たる弁護士という仕事がもたらせたものではないかというのが僕の仮説です。

 慰安婦問題については、問題の本質的論点は、慰安婦事業が純然たる商業ベースで民間業者によって実施されていたのか、公的権力の関与のもとに実施されていたのか、というところにあります。

 橋下市長が批判する河野洋平官房長官談話では、「慰安所の設置、管理及び移送については旧日本軍が直接あるいは間接にこれに関与した」、募集については「官憲等が直接これ(軍の要請を受けた業者による募集に当たり、数多くあったとされる本人の意思に反して集められた事例)に加担したこともあったことが明らかになった」とされ、「設置、管理及び移送」と「募集」では意識的書き分けがなされています。

 そして、その後「(河野談話の基礎となる調査において)強制連行を直接示す記述は見当たらなかった」ことが明らかになり、河野談話を全面的に否定する議論が広く展開されるようになったのでした。

 強制連行、特に公的権力による強制連行の有無は本件に重大な影響を与える論点です。

 しかし、だからといって設置、管理及び移送について公権力が関与した事実からして、本件について我が国がイノセントであるという主張をするのも相当無理があると言わざるを得ないでしょう。

 橋下市長は、「(強制があったのであれば)謝罪するのは当然だが、今のところその証拠がない。だから韓国側に証拠を出してほしい。」と発言しています。

 この発言の発想は、あたかも本件をめぐる日韓関係を単純な民事的原告被告関係とみなすものと言わざるを得ないでしょう。

 弁護士商売の法廷戦術レベルの発想で、この重大な問題についての発言をしているものと言わざるを得ないでしょう。

 

 さて、一方、橋下市長は、尖閣に関しては「中国側の姿勢の背景に歴史問題があると指摘。『(過去の)日本の行為にずっと恨みつらみを抱くのは仕方がない。もう一度国を挙げて過去の戦争について総括しないと、中国とやっていけなくなる』との認識を示した」とのことです。

 また竹島に関しては「かつての日本の植民政策と絡み、竹島は韓国のプライドそのもの。多くの日本人はその認識を持っていない。相手と論戦するには相手の立場を知らなければ。近現代史教育に力を入れる必要がある」と発言したとのことです。

いずれもいわゆる「タカ」派の領土問題主張とはまったく異なる視点に立っています。

 尖閣、竹島に関する我が国の領土権の根拠については、細々とあげられている事柄がありますが、我が国領土として編入した決定に対して、中国、韓国(朝鮮)から有効な異議申立てがなされずに放置されてきたということがそのもっとも直接的な根拠となっています。

 それは、尖閣に関しては1895年1月14日の魚釣島の標杭建設に関する閣議決定、竹島に関しては1905年1月28日の竹島を「本邦所属」とする閣議決定、という二つの閣議決定です。

 1895年1月は日清戦争での日本の勝利、清の敗北が明らかとなり、講和条約締結交渉に入ろうとする時期です。

 1905年1月は日露戦争は継続中ですが、朝鮮半島での日露の戦闘は終結し、朝鮮半島に対する日本の一元的支配が確立された時期です。

 いずれも異議申立て権利者の当事者能力に大いなる欠陥がある時期と考えざるを得ないのです。

 契約の成立・不成立を争う弁護士商売からすれば、この一方の当事者能力の欠陥の問題が頭脳を刺激しないはずがありません。

 橋下市長はその刺激に素直に反応していると推測されるのです。

 

 橋下市長は、本来的「タカ」とか「ハト」とかいうのではなく、その弁護士としての素直な感覚から諸問題に対応している面が強いのかもしれません。

 それが彼の強みでもあり、危うさでもあるのでしょう。