2012年9月18日
今日の領土問題の事態を前にして本稿がきびしい非難、批判を受けることは覚悟の上です。
お決まりの「売国奴」なる名誉ある称号を頂戴できるかもしれません。
しかし、本稿のような歴史的パースペクティブを持たずに今日の事態に場当たり的に対応しようとすることは、事態をますます泥沼化していく結果となると見込まれます。
敢えてやや極端な表現を用いつつ、今日の事態に必要な視点を提供したく思います。
戦前日本、とりわけ1931年の満州事変以後の日本は、当時の国際社会における「ならず者国家」でした。
すなわち、今日の北朝鮮、フセイン治下のイラク、ホメイニ以後のイラン、妥協前のカダフィのリビアといった国々と同一視されるような異様な存在でした。
欧米の帝国主義を批判せずして日本だけを悪者にするのかという非難が予想されます。
しかし、欧米は第1次世界大戦後、それまでのコストのかかる直接統治方式の植民地主義を転換して、民族自立を認めつつ実質的経済支配を確保する新植民地主義を採用するようになりつつありました。
後発帝国主義国日本はその新しい流れを感知しそこなったのであり、その新しい流れからすれば旧方式に固執する日本は「ならず者国家」的評価を免れなかったのです。
また、日本は欧米列強に支配された植民地アジアを解放するために行動したのであり、それに対して「ならず者国家」とは許しがたしという非難も予想されます。
主観的にアジア解放思想が強くあったことは否定しがたいところですが、現地での他民族蔑視による差別・搾取・虐待という現実があり、その主観的意図は極めて一部の評価にとどまるものでしかありませんでした。
かくして、第2次世界大戦は「ならず者国家」日本を敗北に導いた国際的正義の勝利とされたのであり、いわゆる「東京裁判史観」とはそのような観点に立つものでした。
「東京裁判史観」が国内で批判の対象になっていますが、その史観の適否をひとまず置くとして、国際的には「東京裁判史観」で日本が見られているということは、客観的事実として考えておかざるを得ません。
さて、「ならず者国家」日本が国際社会に復帰して一国家として市民権を得られたのは、いかなる条件があったからなのでしょうか。
一般に国家としての要件としては、中央統治機構の存在、管理される一定の地域・住民の存在、持続性のある経済活動、国際ルールの順守、国連等国際組織加盟などがあげられます。
しかし、これらのいわば外形的条件の充足をもって真の市民権が得られるわけではありません。
「ならず者国家」が前科を消して国際市民社会に復帰するためには、「ならず者国家」時代の否定という「みそぎ」が不可欠です。
言うまでもなく、その「みそぎ」が正義に合致するものであるかどうかということは、ここでは問題ではありません。
正義に合致するかどうかではなく、メンバーが「みそぎ」を認めるかどうかが、国際市民社会への復帰の必要条件です。
その点において「みそぎ」の役割を果たしたのは、「ならず者国家」時代に獲得した領土の放棄、戦争責任の追及と処罰、「ならず者国家」時代の制度の改革、戦争放棄憲法の制定等でした。
そして、「ならず者国家」被害者群からは、当然のことながら、その「みそぎ」では不十分という強い抵抗がありました。
その「みそぎ」の不十分性を補ったのは、パックス・アメリカーナを実現した国際市民社会のリーダー・アメリカによる日本の身元保証でした。
その背景に資本主義対社会主義という東西対立の深刻化があり、社会主義への対抗上、地政学的観点からの日本の早期の国際社会復帰の要請があったことは言うまでもありません。
この結果、アメリカの後ろ盾を背景に、日本は「ならず者国家」時代の被害国に対する清算を1対1の関係で十分に完結してはいません。
もちろん、条約上の整理はつけてはいますが、その背景にアメリカの後ろ盾がやはり存在するのです。
東西対立、パックス・アメリカーナという条件の上にあぐらをかいて、ならず者が市民社会に復帰するための段取りを被害国との間で日本は十分に踏んでいないのです。
尖閣にしろ竹島にしろ、中国、韓国それぞれに自らの領土だという十分な証明はありません。(日本の領土であるという証明もそれと五十歩百歩のものです。)
今や遅しだと思いますが、国際社会における十全なる市民権回復のために尖閣、竹島の領土権放棄という選択は十分にありえたことと考えています。
国益というものがあるならば、国益の前提には国益追求の舞台としての国際社会における市民権の獲得があるのです。
しかし、いかんせん、事態は進行しており、具体的対処をあらかじめ定めておくことがもはや困難な局面に至ってしまいました。
さればこそ、刻々の具体的対処のためにも歴史的パースペクティブを堅持しておくことが必須であると考えられます。