2012年9月9日

 「琉球処分」とは、独立王国琉球を、明治初期に、日本が、軍事的圧力により解体し、日本に組み込んだことを言います。
 「琉球処分」という言葉は、この歴史的事実に対する処分された側からの批判的命名と受け取られがちですが、実際には処分した側、すなわち明治政府からの命名であり、この命名に明治政府の琉球に対する認識があらわれていると考えられます。
 因みに、現地派遣総司令官の役割を果たす松田道之の職名は「琉球処分官」です。

 このたび、「小説琉球処分」を読みました。本書は、沖縄初の芥川賞作家大城立裕氏(1925~)によって1959年から60年に琉球新報に連載され、その後加筆されています。
 私が読んだのは2010年に講談社文庫から刊行されたもので、その解説は有名な元外務省主任分析官佐藤優氏(あの外務省のラスプーチン)が書いています。

 その解説によれば、この小説は当初大きな関心がもたれなかったのに、まずは1972年の沖縄本土復帰時に注目され、また普天間基地移転問題をめぐる当時の鳩山首相の「最低でも県外」発言からの一連の事態が再びこの小説への関心を呼び起こすことになっているようです。(講談社文庫での今回の刊行はまさにこれを背景にしたものでしょう。)

 佐藤優氏は、琉球処分にみられる「差別」をめぐる両者の認識ギャップ、すなわち本土側には沖縄を「差別」する意識はなく、しかし客観的に考えれば、また沖縄の立場に立てば 「差別」は厳然と存在するという
事実、これを指摘して「小説琉球処分」を現在の沖縄問題を考えるよすがにすべきであると主張しておられます。
 
 私は、それに加えて本書にもう一つの読み方があることを指摘しておきたいと思います。
 今日の日本は当時の琉球王国になぞらえることができる、琉球王国の悲劇をもたらしたものは今日の日本に悲劇をもたらすものでもあるということです。
 佐藤勝氏は本書を4度、「本気で格闘する本」として読んでおられるということです。単に沖縄問題を理解するためというだけでなく、外交の混乱はいかにもたらされるかという現代日本外交へのヒントが本書にあるがゆえに、外務省主任分析官の「本気の格闘」を呼んだというのが私の推測です。

 なお、私が本書を読むきっかけは、尖閣諸島の領土権の問題です。
 日本の尖閣諸島の領土権は、言うまでもなく、尖閣諸島に対する琉球王国の領土権を基礎にするものです。それについて情報を期待して本書を読むことにしたのでした。
 小説中に見つけたそれへのヒントと、佐藤優氏の解説中にあった注目すべき事実の指摘は以下のとおりです。

 すなわち

「 林世功(注・1842~1880、大和名:名城春傍、将来を有望視された琉球士族、琉球処分に対抗するために清に派遣された密使、自刃 )の死んだ同じ年に、アメリカの前大統領グラントが、琉球を三分して、北を日本へ、南を清国へ帰属せしめ、中央の沖縄島だけを独立せしめよ、と提案した。これは結局成立しなかったが……。」(本書・「エピローグ」491頁)

「 日本と中国(清)の間で国境画定交渉が行われた。1880年に日本政府は中国に対してこんな提案をした。
 〈琉球諸島を二分し、台湾に近い八重山・宮古島の両先島(注・ここには必然的に尖閣諸島が含まれる。)を清国に割譲し、その代償として日本が中国国内での欧米なみの通商権を獲得しようというものだった。日本が提案し、しかもその実現に熱心であった「分島・改約」案は、日清間で合意に達したが、清国側の調印拒否にあって、流産したものの、もしもそれが実現していたら、日本人の中国内地での通商権と引きかえに、宮古・八重山の土地・人民は、清国政府の管轄に移されていたはずである。〉(金城正篤『琉球処分論』沖縄タイムズ社7頁) 」(本書・解説510頁)