2012年6月18日
僕の大脳は僕の要求に忠実な僕の部下なのだろうか?こんな疑問が湧いてきました。
唐突ですが、目標が発する熱を感知して攻撃するミサイルに人間を例えてみましょう。
そのミサイルのアンテナ(単語として適当なのか自信がありませんが)は目標が発する多種類の電磁波を探知するとします。そして、探知した電磁波のうちから赤外線だけを抽出し、その赤外線が発された方向に軌道を向ける働きをするコンピューターがミサイルに搭載されていたとします。
ミサイルが一定の軌道で飛ぶというのが人間の行動です。
ミサイルのアンテナに当たるのが人間の五感です。目標と距離がありますから、視覚、聴覚がイメージに近いかもしれません。
そしてミサイル搭載のコンピューターに当たるのが人間の大脳です。
人間がこのミサイルのような仕組みだとすると、大脳は、到達したすべての情報を軌道決定に用いず、特定の情報のみを選択処理して行動(ミサイルの軌道)を決定していることになります。ミサイル運用の場合はこのような方法が合理的でしょう。
このように、大脳とは人間の行動のための装置なのであり、行動に無関係の情報は処理しない、意識に上らさず無意識界に放置する、大脳はそういう限られた役割を果たすにすぎない器官なのである、ある合理性の範囲内での最高情報処理装置なのである、大脳のみによってこの世のすべては知りえないのだ、という考え方があるようなのです。
そうだとすると、僕がそれを知れば考え方がガラリと変わってしまうような情報を、大脳は独自の整理基準で選別し、僕に提供していないということになります。
(この場合、大脳ではない僕はそれでは何なのか、大脳の情報整理基準は変更可能なのか、といった興味ある問題が続々と登場してきます。)
神秘体験をその大きな成立根拠としている宗教の正当性への確信が科学の大きな発展によって揺らいだ現代において、科学の成果を否定することなく、神秘体験を肯定し、宗教の正当性を高らかに主張したアンリ・ベルクソン(1859~1941)はこんなことを考えた人のようです。