2012年4月19日
本通信ではこれまでも何度か読書体験を書いてきましたが、その本を読むことをストレートに薦めるような書き方はしてこなかったと思います。
しかし、見田宗介著「宮沢賢治」については、ストレートにこの本をお読みになることを薦めたいと思います。
新橋駅前の古本市で偶然に手にとり、ためらわずに購入する価格〈500円〉だったのは、私にとってまったく幸運でした。
「人物評伝」としての面白さを十分に備えた本であり、宮沢賢治のたくさんの童話や詩、「銀河鉄道の夜」や「雨ニモマケズ」や、知らなかった賢治のたくさんの作品が、宮沢賢治という物語に、有機的に、整合的にはめ込まれています。賢治の作品の登場の背景、必然性がナチュラルに納得させられます。
「人物評伝」としての面白さが十分に備わった本です。
しかし、そこにとどまっているだけのものならば、前例のない読書の薦めまでをするものではありません。
本書によって、普通一般の人間から見れば特異点、極点をなす宮沢賢治の〈自我〉の性質が明らかにされます。
また、特異点、極点であるがゆえに、我々の属する3次元空間に存在しつつ、異次元空間との接点、あるいは異次元空間への視力を、宮沢賢治の〈自我〉がもっていたことが明らかにされます。
それは我々の「近代的自我」が失ってしまったものです。
宮沢賢治の〈自我〉という特異点、極点を原点とする座標軸によって、我々は自分の位置を確かめることができます。
これまで辿ってきた人生の軌跡を、原点からの隔たりという物差しによって、我々は計測することができます。
著者見田宗介は、あとがきに次のように書いています。
「わたしじしんはこの本を、とくべつな前提知識はなくても、人生と世界に対する鮮度の高い感受性と、深くものごとを考えようとする欲望とだけをもったふつうの高校生たちに、(そしてだれでもの内部にあって、その死の日までいきいきと成熟をつづけてゆくようなこの感受性と欲望たちに、)よびかけるつもりで書いたということだけをここには記しておきたいと思う。」
かっこ書きにあるように、本書は高校生たちだけに読まれるべき本ではありません。
「自我」の消滅を間近に控え、それにもかかわらず消滅後の行先に何のヒントもなく、彷徨っている大人の迷子、それゆえに感受性の鮮度を復活させ、深くものごとを考えようとする欲望に再び燃えている晩年世代にこそ、是非読まれるべき本であると私は考えます。
直接は宮沢賢治、そして見田宗介の貢献ではありますが、本書によって提示されている宇宙観、世界観、そして人間意識は、民族の土壌が長い間に育んできたものであり、その恩恵を我々は享受すべきであり、また民族の貢献として全人類に提供されるべきものだと思います。
このような民族的知的財産が出版物の氾濫の中で忘却されてはなりません。是非とも我々の文化的共有財産となってもらいたい書物です。
私が読んだのは岩波書店・20世紀思想家文庫12・「宮沢賢治~存在の祭りの中へ」(1984)ですが、現在手に入れやすいのは岩波現代文庫「宮沢賢治」だと思います。