2012年3月17日
倉田百三「出家とその弟子」という戯曲の上でのことなので、フィクションではあります。
親鸞はその一人息子、善鸞を勘当し、ずっと許しませんでした。善鸞が女性をめぐる事件を起こし、その後放蕩生活を送り、南無阿弥陀仏の教えを信じなかったからです。
親鸞の弟子で「歎異抄」の著者とされる唯円の計らいで、善鸞は臨終の親鸞に会うことができます。しかし、親鸞の「赦されているのじゃ、赦されているのじゃ」という言葉にもかかわらず、「わしはもうこの世を去る……お前は仏様を信じるか」という最後の親鸞の問いに対して善鸞は、「わたしの浅ましさ……わかりません……きめられません。」と答え、親鸞の最後の期待を裏切ります。
自分は罪深い、欲望に満ち満ちた、卑しい人間であるという善鸞の自己否定は、煩悩具足の凡夫と自覚する親鸞の自己否定とほとんどが変わりがあるとは思えません。
しかし、善鸞は、父親の説く南無阿弥陀仏の教え、他力本願、念仏三昧の浄土門の救いを信じません。その違いはどこから生じているのでしょうか?
そのヒントは戯曲冒頭と臨終に際しての親鸞の次のような言葉と南無阿弥陀仏の教えに対する善鸞の次のような言葉との間にあると思われます。
「親鸞:私は自分を悪人と信じています。私は救いがたき悪人です。私の心は同じ仏子(人間)を呪いますもの。私の肉は同じ仏子を喰いますもの。悪人でなくてなんでしょうか。」
「親鸞:私の生命の中にはまだ死を欲せぬ何ものかが残っている。運命に反抗するこころが。おお私はまだ生きていたいのか?この病みほうけたわしが。90歳になる老人が――この世に何の希望が残っている。何の享楽が?煩悩の力の執拗なことはどうだろう。今更ながら恐ろしい。」
「善鸞:あまり都合よく出来上がっている救いですからね。虫のいい極悪人のずるい心がつくり出したような安心(あんじん)ですからね。……浄土門の信心は悪人の救いのように見えて、実は心の純な善人でなくては信じ難いような教えですからね。」
要するに、善鸞が考えている「救い」「安心」とは、一般的な意味での「救い」「安心」であり、「苦悩からの解放」「心の平安」といった状態が想定されています。そして自己否定の強い善鸞は、そんな安逸を自己に許さず、拒否するのです。
一方、親鸞が南無阿弥陀仏によって得られている境地は、善鸞が拒否するような平安、解放、安逸ではないようです。煩悩の苦しみと激しく戦いながらの「救い」「安心」の境地のようです。
南無阿弥陀仏がもたらす「救い」「安心」について、信じる親鸞と拒否する善鸞ではまったく違う内容が考えられているのです。
その強い自省、自己否定という点において極めて近似している親鸞と善鸞の態度を表面的に別けたものは、「救い」「安心」についての理解の違いだったと考えられます。
さて、そうだとして、自己否定を超えたところに生まれる親鸞の「救い」「安心」とは何なのでしょうか?
結局「死」なのでしょうか、他力になりきった念仏者に注がれる「仏の眼差し」なのでしょうか?